執筆者一覧

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+

このサイトでは
パワースポットな人を育てるプロジェクトメンバーによる記事を掲載します。

メンバーはアーティスト、セラピスト、心と体の健康に詳しい方、コーチ、
経営者などの愛にあふれた方々でそれぞれ個性豊かな経験を積まれています。

私ひとりでヒーリングのすばらしさを語るよりも様々な角度からの視点で
愛について、家族について、心と体の健康について、
食事についてなどのテーマについて記事を書いていただいた方が
読者の方にとって参考になると考えてこのような
プロジェクトがスタートしました。

ここでは、執筆者の方々の簡単なプロフィールを載せます。
掲載順序に意味はありません。

村上志乃 プロフィール

村上志乃さん執筆の記事はこちらにまとめました。

「花をいけることは
信じること。愛すること。生きること。

存在するだけで美しい花に
完璧な植物たちに導かれていける
ただひたすらに。
その美しさを信じる  信じる自分を信じる
その完璧さを愛する 愛する自分を愛する

わたしたちも同じ存在するだけで
美しく完璧と知る 例外はない

過去も未来も昨日も明日も
経験も思考も 感情さえも解き放つ
瞬く いまここに満ち足りて自由になる

自由で新しい自分を思い出して
花のように生きる 植物たちと生きる」

moonStruck move+love+live  FLOWER artist
http://www.moonstruck.co.jp

仙台生まれ。東北学院大学を卒業後、アパレルメーカーオンワード樫山営業、
広告代理店リクルート営業を経て、花の世界に。

2坪の露店からスタート。花暦23年。
植物的本能に導かれ
世界を愛と平和で満たすことを活動目的としている。

現在はひとりでmoonStruckのすべてを運営。
(志し深い助っ人多数。ココロから感謝。)
moonStruck設立18年目にはいり
花や店舗を手放しお開きに。
より自由自在にLOVEを表現していきます。

♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦♫♦*゚
Nicho(にこ)のプロフィール(金曜日に執筆担当しています。)

Nichoさん執筆の記事はこちらにまとめました。

経歴:中学より音楽学校に通い、音楽教室・ピアノ講師を経て、
ビジネス・プライベートシーンでのトーク分析、改善アドバイスなどの現職に至る。
他に、ボーカル・オリジナル楽曲制作、アレンジなども行う。

子供のアトピーを、西洋医学の対処療法に頼ることなく、
ゆるマクロビをベースに完治させる。
その際に、食の改善が心身を解放することも実感し、
食を変えることが、マインドを簡単に変えてくれることをブログにて提唱中。
ブログ:『リアル美人を極める道』
http://profile.ameba.jp/hapinicho25/

Horus プロフィール(まるい魂の絵を書いています。)

Horusさん執筆の記事はこちらにまとめました。

名古屋市在中のHorusと申します。現在は専業主婦で子供が1人おります。
子供の頃から霊的体験をしていて見えないエネルギーを感じる敏感な体質でした。
20歳から10年ほど東京でテレビや映画などの美術の仕事をしていました。
ある時ドラマの小道具用に発泡スチロールで本物そっくりの石を作る機会があり、
その時誰かに教わったわけでもないのに自分で着色が出来きて
しかもそれがものすごく楽しかったことから、
色を扱ったり、絵を描く仕事に携わるようになりました。
また、ボタニカルアートと出会い、
デッサンなど絵の基礎はそこで学んだように思います。

また、今はヒーリングを学び6年ほど経ちますが、
ひたすら自己ヒーリングをしてまいりました。
30歳になり体調を崩して仕事をやめて帰京したころ、
シータヒーリングを生まれて初めてうけたのがヒーリングとの出会いでした。
当時慢性的な胃炎を抱え、将来の不安でいっぱいで重かった心や体が解放される。
(胃痛がなくなる。悩みはあるけれどそれに囚われずにいられる。)
という経験をしてから自らシータヒーリングを学び、
今日ではあらゆる感覚を使ったオリジナルなヒーリングができるようになりました。

自分にとってヒーリングとは、感情などがただ癒されるだけではなく、
常に新たな意識の拡大へと導いてくれる、
本来の自己へ戻るプロセスに不可欠なツールであると確信しております。

すごく細かい描写をするボタニカルアートから魂の絵と称する抽象的な絵を描くようになれたのも、
ヒーリングによってあらゆる固定概念を取り払えたことが大きかったです。

つい最近魂の絵を描き始めたと同時に立松さんがプロジェクトを立ち上げられたことを知り、
こちらで発表させていただける運びとなりました。
ひたすら自分と向き合う日々から人と共に歩む方への転換期に
こうして出会えたことも何かのご縁かと思います。

これからは絵を通じて、ゆくゆくは絵とヒーリングを交えながら
皆様が自分らしく生きられるようになるお手伝いができるといいなと思っております。

ブログ
http://Ameblo.jp/sarve-devah-sarirasthah/

島貫めぐみ プロフィール(水曜日に執筆担当しています。)

島貫めぐみさん執筆の記事はこちらにまとめました。

1977年東京生まれ。

絵や造形に親しむ生活から一転、
ある出会いを通して、
2014年から、
唐突にスピリチュアルな世界へ。
チャネリングや瞑想を通して、
学ぶ毎日となる。

独特のリーディングスタイルの
セッションと、
絵を用いたセッションなどを
行なっている。

アフォメーションを視覚化する、
アフォメーションカードの
受注製作などもしている。

《ホームページ》
http://nonokusanoyouni.jimdo.com

《ブログ》
http://megufactory.hatenablog.com/

三宅信義 プロフィール(木曜日に執筆担当しています。)

三宅信義さん執筆の記事はこちらにまとめました。


1962年神奈川県に生まれる
10歳の時に、道を歩いていて突然、
「自分はなんでここにいるのか?」という問いが突然降りてきて、それ以来自己探求の道へ。。
デカルト、カントなどの観念論を必死で学ぶも限界を感じ、
19歳の頃にルドルフ・シュタイナー,CGユングに出会い無意識の世界へ関心が高まりまる。
多くの人智学の書籍や講座を学び、23歳の時「薔薇十字の観法」をしていたら、
お尻の上がゆらゆら熱くなり目の前が凄い光と共に幸福感が押し寄せて来る体験を。
その後歯科医師になり27歳の誕生日に開業、
日々の忙しい治療や交遊に、自分自身への探求心が薄らいでいきました。
それと同時に少しづつ生活の歯車が狂い始め、離婚、結婚、そして、また、別居、離別、、
と、苦悩の日々を過ごすも、2011年大震災と共に、
「自分がなんでここにいるのか?自分は一体 誰なのか?」の問いが再び噴出、
全てを捨てて、ヴァイオリンだけを背負ってアメリカへ渡ります。
しかし、アメリカで不安定な日々の中、
意識が身体から抜ける体験をするもとうとう耐えきれず、死を選択しようとします。
その時、物凄い恐怖とその時、
「それは、切ってはいけない。何故なら与えられたもの、あなたは生かされているのです」
という声がして、与えられているのなら、生きている間に人の為に使い切ろうと決意。
日本に戻り、「人が健康で幸せを感じる癒しの歯科医院」を創設。
半年後に師匠千田利幸ことせんちゃんに出逢い、
2年半ほぼ全ての講座、セミナー、ワークショップを受講する傍ら、
自ら茅ヶ崎市にて幾つかの震災復興のチャリティー音楽イベントを開催。
今年から、自ら音楽を再開、現在幾つかのオーケストラとバンドにて演奏を開始。
茅ヶ崎にジュニアオーケストラを創って、
教育活動や茅ヶ崎で大規模な音楽祭を開催し市民の文化交流、
茅ヶ崎を愛と光と感謝溢れる街にと活動している。
《フェイスブックページ》
https://www.facebook.com/miyake.dental/
《公式ホームページ》
http://www.miyake-dent.com/

小川俊次  プロフィール(日曜日に執筆担当しています。)

小川俊次さん執筆の記事はこちらにまとめました。

2人目の子供の出産を機に妻と共に子育てをやっていく事を決め、27年間勤めた会社を退職。
1年間、家事と育児に専念する生活を送る。
自分の本当にやりたい事を仕事にすると決断し、家事と育児の合間に
『自分の大好きな事は何か?』『自分の才能は何か?』を問い続ける。
自分の才能を見つけ、実現するために心理学、マヤ暦、セルフイメージを
書き換えるスキルを学ぶ。
これらを体系化し、才能リーディングマスターとして活動を開始。
現在、企業イベントへの参加、個人セッションなどを行う。
『情熱の中にある才能、生年月日にの中にある使命のヒントを知り
セルフイメージを書き換える事で自分本来の生き方を実現するセッションを提供。
2015年4月からはこのスキルを学べる、才能リーディングマスタースクールを開講。

座右の銘:才能は認める事で引き出される

経歴:佐世保工業高校機械科卒
(株)日立システムズにてハードウェアのエンジニアとして従事。
2014年12月退職

ブログ:http://s.ameblo.jp/syunji37?frm_id=v.jpameblo
『才能リーディングマスター』

川井俊夫  プロフィール

川井俊夫さん執筆の記事はこちらにまとめました。

私は東京近郊に住み、家業の靴の付属品卸や、後のサイフ製造の仕事を父と共にしていました。
ある時、夜中に何気なく付けたテレビから
「アウト・オン・ア・リム」シャーリー・マクレーンさんの本の紹介や、
別の日にバシャールをチャネルするダリル・アンカさんを見ました。
私にとって、大きな出来事でした。
2008年から、ブログを書き始めました。
少しづつ主に、スピリチュアル・ポエムやエッセイを書いています。
個人の認識の変化が、テーマでもあります。

今の時代は、スマホやグーグル・グラス、
又、リニア新幹線計画のように、スピード・アップ文明です。
けれども、国家指導者達は、巨大な力を持つ故に、不安定な時代と言えるのです。
そして、人間は、皆、個人一人一人です。
その気付きの中から、新しい21世紀価値観が求められるのではないでしょうか。

ブログ:『パラダイム・シフト 新たな世界観ヘ』
http://ameblo.jp/michaelkei/

サイトの管理人
および記事の監修責任者

私、立松幹緒が書いた記事はこちらにまとめました。

見守る天使

私は立松幹緒といいます。
1967年2月15日生まれの男性です。
西洋占星術の太陽の位置は水瓶座。
血液型はO型(RH+)。
サビアン占星術は水圧計。
数秘術の誕生数は4と22。

努力家で心優しい平和主義者。
課題は整理整頓とアイデアを形にすること。
このサイトを作っているのも課題のひとつです。

最終学歴は信州大学工学部情報工学科卒業。
職歴は、日本ユニシス株式会社でシステムエンジニアの卵。
倉本聰先生が主催していた富良野塾で役者修行。
サイエントロジー東京でカウンセリングの基本を学ぶ。
神秘体験の後、タロットと手相を使って占い師。
現在、スピリチュアルヒーラーとして活動中。

座右の銘は、
インスピレーションで受け取った
『あらゆる出来事はプレゼントでありサインである。』

仕事のスタンスは、
クライアントさんに才能を最大限に発揮していただき、
心の底からの喜びをもって充実した日々を送っていただくこと。

現時点で、私にできることは、神とのつながりを取り戻していただくこと。
心の掃除をする方法をお伝えして、必要であればお手伝いすること。
本当の望みを知っていただくお手伝いをすること。
本当の望みを実現するための考え方や方法やヒントをお伝えすること。

多くの方がそれぞれの本当の望みを知って
実現することにフォーカスし続ければ
加速度的に幸せな波動が広がり
夢のような現実があらわれると本気で思っています。

このような考え方に至った経緯をお伝えしようとすると少し長くなりますので、
お時間のあるときにココをクリックして続きを読んでみてください。>>>

以下に書いてあることはノンフィクションです。
(まぎれもない事実です。)

1967年2月15日に愛知県名古屋市港区で生まれました。

子供の頃から感受性は鋭かったように思います。
まだ、言葉をしゃべれない時期に光のエネルギーに包まれて
『専門的になればなるほど分離していくよ。』というメッセージを
受け取ったことを思い出します。
メッセージは、声が聴こえるのではなく
意味が直接思念で伝わって来るような感じでした。

肉の脂身が気持ち悪くて食べられなくて
保育園の給食のときには、わざと肉の脂身を床に落としていました。
気持ち悪いものを食べさせようと頑張るほうがおかしいと思います。

両親が出かけたときには、さみしいという感情もなく、
平気で留守番をしているという感じの子供だったようです。

小学校時代は、運動も勉強もそれほどできるわけではない背の低い子供でした。
夏休みの宿題なんかは、たいていぎりぎりまで終わらず親に手伝ってもらっていました。
5年生の夏には、金縛りを体験しました。
これは、のちのちの神秘体験の予備練習だったのかもしれません。
卒業文集には、芸術家になりたいとか、
宇宙の果てまで行きたいというような事を書いていました。

中学校時代は、卓球部で汗を流し、名古屋市で団体戦3位のキャプテンを務めました。
背が低くても努力すればスポーツができるようになるということが分かりました。
友人からは、『小さな巨人』とか『心臓に毛が生えている』と言われていました。
体は小さかったけど試合の大事な場面で緊張することなく堂々としていたからです。
学校の勉強は、暗記もの以外は、ゲーム感覚で楽しめるようになっていました。

高校時代は、なんだか充実感の薄い時間が流れていました。
何をしている時が楽しいのかということが分からない感覚でした。
暗記ものの勉強は苦手だったので、数学と物理学だけに絞って勉強して、
共通一次試験終了時では、ほぼ浪人というはずでした。
それほど、裕福な家庭ではなかったので国立大学しか選択肢がなかったのです。
統計的には合格の確率は5パーセント未満でしたが、
2次試験はいい感じでできてしまい信州大学の工学部情報工学科に合格しました。

大学時代は、最初の1年間は、松本市で暮らし、
あとの3年間は長野市で暮らしました。
大学時代のほとんどは硬式テニス(体育会)をしていました。
高校時代からの経験者に混じっての練習は
楽ではありませんでしたが充実はしていました。
人間の体というものは、トレーニングすればしただけ、
動きが良くなり反応も速くなるんだと感心しました。
本当に調子の良かったときには、
ボールが止まって見えたことがあります。

勉強のほうはといえば、なんだかピンとくるものがなく、
最低限、留年しないようにということくらいのモチベーションでした。
どの辺が試験に出そうという感じのカンだけが頼りでした。
当時は、まだぎりぎりバブルの時代だったので、
就職活動もしないで、人事の方が向こうから会いに来てくれるという感じで
外資系の企業に内定が決まりました。

父親からは、「働くということは、他を楽にすることなんだ。」と
教えられていましたが、ふーん。という感じでした。
仕事とは、なにかということをよく理解できていないままでした。

東京でのサラリーマン時代は、毎日、パソコンに向かって、
銀行に納品するためのシステムのプログラム作成やテストを
ひたすら行うという日々で終電ぎりぎりまで仕事をしていました。
達成感とか喜びというものを感じることがないまま仕事をしていました。
将来、この人のようになりたいという上司もいませんでした。
課長レベルの方は、何十年もがんばって仕事をして、
部長から怒鳴られている場面を見せられると、
自分の未来をついついシュミレーションしてしまい、
どう考えてもあのようにはなりたいと思えませんでした。

喜びのない仕事をし続けるということが、
本当に辛いということを体験するために就職したのかもしれません。

結局、2年半で過労っぽい症状になりました。
あるとき文章を読むときに、目には映っているけど、
内容が理解できないという状態までエネルギーが落ちていました。

当時は、セルフヒーリングをするというような解決策を知らなかったので
どうすればいいのか全く分からなかったのです。

エネルギーは食べ物を食べて消化吸収することから
得られるものだという認識しかなかったわけです。

コンピューターシステムプログラム作成の仕事をするというモチベーションも
全くなかったので退職して名古屋に戻ってきました。

しばし、療養した後、自転車での野宿ツーリングで
阿蘇山まで旅をしました。阿蘇山は本当に美しいところでした。
行きは、日本海側から南へ進み、九州へ
帰りは、四国を通って、太平洋側から名古屋まで
野宿をしながら旅をしました。
通算40日ほどの旅でした。
旅の中でも様々な出会いやドラマがありましたが
それらを描写していくと長くなりすぎるので
割愛しますが、自信と体力の回復という旅の目的は、
200パーセント達成できました。

その後、アルバイトなどを経て、倉本聰さん主催の富良野塾へ入塾し、
役者になるための修行にいきました。

名古屋の実家から富良野へ飛行機で大きな希望をもって旅立ちました。
3月の下旬でもうすぐ春という季節でしたが、富良野の景色はまだ雪でおおわれていました。
一夜明けた朝、名古屋の実家から電話が入りました。
出発した次の日に電話なんて、おかしいなと思いながら受話器に耳を傾けると、
妹が涙声で母親が他界したことを伝えていました。
一日前までは、元気な姿で飛行場まで見送ってくれた母親が、
次の日の朝には、風呂場で、冷たい体を残してこの世からいなくなっていました。
その当時は、混乱状態で、自分も涙が止まりませんでした。

落ち着いてから、今回の生での役割を終えたんだというように解釈しました。
命について肉体の死について深く見つめるきっかけを与えてくれたのかもしれません。
それにしても、タイミング的には、作り話のようですが本当の話です。
葬儀が終わってから、再び富良野へ向かう時は、
名古屋に残るべきかどうか若干迷いましたが、
富良野での役者修行を選択しました。

文明から離れての生活や役者という仕事に憧れて、
富良野で農作業をしながらの役者修行をしました。
畑仕事は思ったよりも厳しく、役者修行は、想像よりハードでした。

畑仕事は、生活費を稼ぐためなので仕方ないとして、
役者という仕事に関しては、役を演じるというスキルの向上だけでも厳しく、
加えて、嫉妬心なども渦巻く中で人間関係をいい感じで保つという
集団生活もけっこう大変です。
さらに、倉本聰先生に気に入られているかどうかということを常に気にしながらの生活です。
仕事をもらえるのかどうかという手応えは、どこで判断できるのかも分かりませんでした。
存在感とはなんだろうか。感動とはなんだろうか。といつも考えていましたが、
どう努力すればいいのかがよくわからないまま時が流れていきました。
そもそも、なんで役者をめざしているのかということも本当は分かっていませんでした。

2年の塾生生活が終わったときには、体力的にも精神的にもクタクタでした。
東京公演の『ニングル』という作品に特別出演で参加していた坂本長利さんという
ベテランの俳優さんから声をかけていただいて、
卒塾後にバリ島へ一緒に行ったりして師弟関係になりかけましたが、
役者として生きていけるというビジョンが全く見えずあきらめるという結果になりました。

その後、路頭に迷いながら堕落した生活を一年ほどして、
サイエントロジーというところで、カウンセリングの本質を学びました。
しかし、論理と知識だけで人間の心を扱うことの限界が見えたので脱退しました。

名古屋に戻ってきて、『スピリチュアルグロース』というチャネリング本を読みながら、
シンプルで優しい語り口によって心が整理できていき、
2002年の3月にびっくりするような体験をしました。

2002年3月に瞑想中、強烈な神秘体験をし、歩む方向がはっきりとしてきました。
その後、神からサポートを受けていることを確信し現在にいたっています。
もう少し詳しく以下に書きます。

2002年3月、瞑想中に、時空がゆがむような感覚と共に、
家が崩れるかと思うほどのバキバキバキッという音がしました。
その瞬間からエネルギーが体に注 がれ、特に前頭葉へ激しい圧力を感じました。
ぎりぎり耐えられる痛みだったのでそれを楽しみながら観察していました。
1時間ほどこれが続きましたが、終了 後は体がかなり軽くなり頭は冴えた感じになっていました。
このエネルギーの送り主は神であることは直感で分かっていました。
それほど強烈でパワフルで不安感などが吹き飛ぶようなエネルギーでした。

このエネルギーは毎日のように送られてきました。
空間から音がなったり光が見えたりしました。
この時期は向こう側の世界が実在することを教えてもらってい る段階です。
それまでは神を否定はしていませんでしたが、
どちらかというと(神や天使は物語や宗教の世界の中の存在。)という世界観だったので
がらりと自 分の固定観念は剥がれ落ち新たな扉が開かれました。

日常のなかで光を使う練習をし、
その光によって3次元に対しても影響力のあることが
だんだん理解できるようになっていきました。
あらゆる生命体が神の光のおかげで成り立っていることが理解でき、
24歳のときに過労になってしまった理由が明確になりました。

神秘体験をして1年後からタロットと手相を使い対面鑑定を3年ほどしました。
経済的理由からしばらく休んでいましたが2008年8月からエネルギーレベル が飛躍的に上昇し、
『あらゆる出来事はプレゼントでありサインである。』というメッセージを受け取りました。
この時期にヒーラーとしては役に立つレベルに なっていたと思います。

2012年3月からさらにエネルギーレベルは飛躍的に上昇しました。
チャクラをクリアにする方法を神から受け取りました。

2012年4月3日に7つのメジャーチャクラはすべて覚醒しました。
さらにエネルギーレベルは飛躍的に上昇し、今回の生が最後であることが分かりました。

2012年4月8日に浄霊、除霊、ヒーリングの方法を神から受け取りました。
低級霊を浄霊し天界へ送れることが確認でき、生霊を根元から浄化できることが確認できました。

現在も毎日光のエネルギー(霊的エネルギー)が送られてきています。

ヒーラーの仕事のうち最も重要なのは、神様からの恵みの霊的エネルギーをしっかりと受け取って
必要としている方の中継役(通り道)になることです。

普通の方は、この霊的なエネルギーが常に来ているという可能性に気づいていないので、
受け取ろうという発想すらないため受け取りづらい場合があります。

疑いやそんなはずがないという固定観念や波動の低い感情が、
いつも光り輝いている太陽のような神の光をさえぎってしまっています。
そのような思考や感情が積もっていくと分厚い雲のようになってしまい、
神の光が少ししか届かなくなっているというとわかりやすいかと思います。

ヒーラーは、このような雲を浄化するために、
神の光をしっかりと受け取り準備を整え、
高次の光の存在たちが雲を溶かしてしまうのに
ちょうどいい波動のエネルギーに変換して
依頼された方へと送りこんでいきます。

本当に純粋な高い波動の神の光は、
3次元の物質的な計測器では測定すらできないほど
のエネルギーです。

なので、高次の光の存在たちが、
純粋で最強の神の光と
ヒーラーの半物質的なエネルギーとを混ぜ合わせて
必要でちょうどいい波動のエネルギーをつくり
依頼された方の霊、霊体、思考体、感情体、エーテル体、肉体へと
流して心の曇りを浄化していきます。

言ってみれば、ヒーラーは神様の受付係のような感じです。
高次の光の存在は、神様の部下です。

神様が会長で、
キリストや釈迦やクリシュナは社長や取締役、
実際に治療を行うのが高次の光の存在たちという感じで
イメージするといいと思います。

ただ、これらのことを誰もが認めるように証明しろと言われても、
今のところ私は、その手段がわかりません。

現時点で、信頼性の高い情報として、
おすすめする書籍は
『霊的治療の解明』ハリー・エドワーズ著、国書刊行会発行です。
ハリー・エドワーズとは、1900年代に活躍したスピリチュアルヒーラーです。

証明することはできませんが、
エネルギーを受け取ってきたこれまでの経験や神秘体験から
明らかに、高次の光の存在たちが存在しているとは言えます。

エーテル体やチャクラや肉体が
なんらかの処置を受けているという体感が
数え切れないほどあるからです。

一度霊的なエネルギーをしっかりと体感した方でも
日常生活に埋もれて生活をしていて、
そんなことがあるはずがないと知人などに言われたりすると、
やっぱり気のせいだったのかなという考えになりがちなので、
出来れば、毎日、光のエネルギーを受け取って
心の掃除を一日単位で行うといいです。
夜、眠る前と朝起きたときに15分くらいは行うのが理想です。
それが、無理な場合は5分でも受け取っていただきたいと思います。

現在の私のテーマはいかにわかりやすく霊的エネルギーの価値を表現して、
必要としている多くの方に良い機会を届け、
神とのつながりを取り戻していただくかということです。
宗教としての形式的な神ではなく、
実感として神とのつながりを取り戻していただき、
その価値の高さと素晴らしさを
実生活の中で生かしていただきたいです。


運気を上げたい方や
向上心あふれる方や
至福を味わいたい方は
とりあえず登録してください。

正直で心優しい方や
繊細で感性の鋭い方や
芸術家タイプの方は
迷わず登録してください。

意識の高い経営者の方も
もちろん大歓迎です。

↓↓↓
✩無料メルマガ登録フォーム✩

朝の一斉遠隔ヒーリング(無料)への参加はこちらからどうぞ


Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする