ある日の瞑想しながら浮かんだ思考をまとめようと思います。
2008年頃に一年発起して近くの天祖神社に毎日のように平和祈願を
していました。唯、アマテラス様への呼び掛けと伴に、世界が平和で
ありますようにと祈るだけでしたが・・・
そして、気付いた事として、神社の御神体である鏡とはアマテラス様も
表しているでしょうが、己の心の事であり、照魔鏡とは心の中に
元々在る事と思います。心の潜在的な機能ではないかと思います。
そして後で解った事は閻魔様の持たれている鏡は浄玻璃鏡と呼ばれる
そうで、心の姿を映し出すとされています。本殿前に狛犬が二匹
居ますが、それはエゴを置いて行きなさいと言う意味と思います。
さて、人は心のオセロ・ゲームをしていると思いますが、ポジティブに
成ったり、ネガティブに成ったりと・・・ けれども、人の心は全て
オセロで埋まっている訳では無く、丁度、眼球の構造と相似性、
フラクタル関係にあると考えています。
虹彩はエゴ意識に、又オセロに相当し、水晶体は顕在意識に、硝子体は
潜在意識に相当するかと思います。さて、瞳孔には壁が有りません。そこに
人生を開く鍵が在ると考えています。そこに人の自由性が在りそうです。
さて、天地とつながるイメージをしてから、世界が平和でありますようにと
祈りました。また、宇宙根源の愛の光が(魂に)現れますとアファメーション
しています。
それは、ある特定の周波数にチューニングする事でも有ります。次第に
細やかな光の波動が心に現れます。これが空間に元々在る波動と思います。
そして思う事は:
太陽は光輝くのみなんです。魂の光も元々は同じ性質を持っているはずと。
それが、無条件の愛の下になんです。やがて、その細やかな光の波動は
心に充ち、肉体に浸透して行きます。すると、顔に赤みが差して来た
ような感覚が有りました。日々の思いはどんな思いを持つかが重要です。
血液は酸素を運んでいるだけではありません。神経は神の径(みち)と
書きます。エゴに支配された思いである責め、裁き等は、その波動情報も
血液によっても運ばれるでしょう。
魂を宝珠とすれば、そこに無条件の愛の下に、宇宙の元々の性質である
光が輝く時、最も血液や肉体細胞は本来の働きが出来るかと思います。
それは最も宇宙の法則に適い、肉体細胞の健全化を促し、腸内細菌の
フローラも正常化すると思います。そして、思う事は、心、魂にとっての
栄養とは無条件の愛の下に、宇宙の光を宿す事なんだと思いました。
執筆 川井俊夫