全ては、超アナログ?!

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こんにちは~歯医者さんのみやけです

前回は、舌抵上顎舌を上顎につけておくと、
素晴らしくいいことが起きるというお話をしました

僕自身も、この数ヶ月舌を上顎にピターッとはりつけておくと、
心が安定し(イライラとかザワザワし難い)、
この風邪とかインフルエンザの多い時期に病気し難くなることを実感しています
(なったとしても早く回復します)

そして、今回は気のエネルギーと病気との関係を書こうと思ったのですが、
それを書く前にちょっとお伝えしたいお話があるので、書いてみようと思います

皆さんは、「身体」というものと、
「心」というもの、どのように捉えているのでしょうか?

身体は物質で目に見えるけど、心って目に見えない非物質のもの、、
でも両方共大切なもの、、のように捉えて居る方が多いかもしれません

つまり、多くの人が身体は身体、心は心、
別物のように感じている、捉えられているように感じます。

身体の病、心の病、はどうでしょうか?

身体の病は、西洋医学では科学的根拠
(いわゆる文献とか学会で承認されている治療法)
に基いて悪い部分を取ったり、薬で抑えたりするのが一般的です

心の病も、心の病でいわゆる心理学的に行われる心理療法、
カウンセリング、と医師が薬を出す薬物療法なんかが一般的ですね

身体の病も、心の病も、
医療では両者を別々のカテゴリー分けして捉えているのが今の現状です

それが悪いと言っているわけではないのですが、
視点を変えると違うものが見えてくるお話をしたいのです

これらの両者は、本当に分かれているのでしょうか?

慢性疾患、例えばアトピーや糖尿病、心臓病、
50兆ある身体の細胞は日々分裂して新しく変わっているのに、
何故病気だけが居残りつづけるのか?

あるいは、日々のストレスに悩み、
環境や職場を変えたにもかかわらず、しばらく落ち着くが相変わらずまたストレスがこんどは別の要因やってくるのは何故でしょうか?

身体と心は本当に別のものでしょうか?

実は心と身体は同じものの別な見方なのです\(^o^)/

イメージで言いますが

ここに氷があったとします

でもその表面では、氷が溶けて水になり、
そして、よくみると気体になって水蒸気として空気全体に溶け込んでいます

例えて行っていますが、身体も心も同じような感じなのです

身体が氷で、心が水、蒸発してゆく水蒸気です

どれも同じ水という分子の密度の違いによるもののいち側面なのです

でも、身体の場合は、一番外側が硬く、
内側に向かって軟かくなり密度が低くなっています

だから、心が内側にあるように感じるのですが、
実は心はチャクラを通って身体の外、つまり空間に解き放たれています

ある講座で学んだ記憶によると、
自分という自我は、大きな海のなかで高速で回転する渦巻きに例えています

渦はそれ自体は、単に水ですが
渦にたくさんの情報(過去の記憶、セルフイメージ、信念、観念、思い込み、、)が書き込まれて、

自我という渦の思い込みが出来上がります

そしてその渦自体が、
渦巻きとして観える実体(肉体、身体)を瞬間瞬間で創っています

そして、普段の僕らはこの渦の上の表層のところに意識があって(顕在意識)、
あっちの渦はどうだとか、こうだとか、判断しているわけなのですが、

渦巻きの深い部分(潜在意識)に潜っていくと、
渦巻きの先端から先は大海と繋がっているのですね(集合的無意識)

つまり、肉体も心も全てはエネルギーでただの振動の違いによるものなのです

ですから、心も身体も「連続した」一つのエネルギー体と言えます

心も身体も一連の連続したストラクチャー(構造体)なのです

心(思考、感情、観念、ビリーフ)が、
段々密度が濃くなる(振動数が低くなると)と、肉体になり

肉体が(振動数が高くなって)密度が薄くなると、心になるのです

そういう意味で、この両者に境目は無く
一連の連続したスペクトラムのような感じなのです

肉体は物理的な次元における心の表現という言い方もできるでしょう

さて、そうすると、面白い見方ができます

僕らの心と身体の境目は無く、同じものの連続したエネルギー体だとすると、

はたまた、そもそも、どこまでが自分で、どこからが自分以外なのか、

その明確な境はないことに気づくわけです

例えば先ほどの氷の例です

ここに2つの氷があります

一見この2つの氷は別々なように観えるのですが、温度が上がると水になり、

さらに温度が上がると気化して水蒸気になりもう区別がつかなくなります

そして、この氷を氷たらしめているもの、
この氷の周りの状態を作っているのが、いわゆるカルマです

カルマとは、自分というものを個体化させている、過去の記憶、想い、思考、感情、感覚、信念、思い込み、パターンの集積です

それは、どちらかと言うと冷たい、冷蔵庫のようなものに入っているのです

頑ななカチカチの氷のをつくって、
分離しているように観える、思える、感じれるわけです

孤独な氷同士はいつもぶつかって相容れない感じです
(ぶつかり合って少しは角は丸くなりますが・・)

でも、やがて、その氷はその思い込みや信念に気づいて、
手放してくるとその冷蔵庫の温度は、

段々上がってきて氷も溶け出して水になり、そしてお湯になり、

お隣の氷と融合しだします(^^♪

さらにどんどん温度が上がるともう、
どっちの水だか、お湯だか、
どっちの水蒸気だか、湯気だかわからなくなっていきます

この暖かい温度が上がっていく状態、どっちがどっち?境目のない状態、、

これが「愛」です

だから、「愛」は暖かくて、軽くて、境がなくて、
シンプルで全てが明らかなのです

もともとのこの宇宙は暖かくって、ワクワクして、
全てを包み込んでいる無条件の愛そのものなのです

ちょっと、話が飛びすぎてしまったようなのですが、

僕らの世界はまだ、この氷でぶつかり合っている状態、分離した状態です

そして、この氷同士の視点では、
相手はどう観ても「別の氷」にしか見えません

「わたしはわたし、あなたはあなた」と言っているのがこの状態で、
収縮したエネルギー体です

でも、この氷が溶けて少しお互い水蒸気の視点で観ると、

なーんだ、僕らは同じじゃないですか、、
同じ空気(境目のない)なんだと分かる、、
これが肉体の死です

氷だった自分は実は、夢、幻想で、
気化してみるとみんな同じ空気だったことが分かります

そして、この氷の視点、氷の状態からは、
お互いに分かり合えないという状況が生まれるのですが、

それは、何故かと言うと氷と氷が同じ次元にいるからなのです

「同じ次元同士は、正しく認識し合えない」という法則があります

例えば、一枚の紙に、二人の人物を書いてみると、

その人物同士は、その視点からでは、
それぞれお互いの姿、あるいは自分の状態は、正しく観ることができません

だけれども、その紙を上から眺める視点からみると、

一つの紙の上に二人の人がいて、世界はその紙であり、
二人の人もその紙の一部に過ぎないことが認識できるのと同じように

僕らも、自分のそれぞれの視点から観ている場合、
同じ次元でものを観ているので

相手の想いや感情、感覚、
どんなものが見えて、どんなことが聞こえて、どんな感覚か、
分からないわけです

でも、僕らが、一つ上の次元、さっきの例だと、水蒸気の視点でものを観だすと、

その水蒸気の視点は、僕ら(氷)を眺めている視点だから、

僕ら(氷)からは絶対観えないけれど、
水蒸気同士は、氷同士が同じもので、
その次元そのもの(二次元の紙と人物の例のように)
だということの気づきの状態になるわけです

水蒸気は水になり氷になることで、
個々の個別の色の世界(五感で見て聞いて感じる世界)の体験ができるわけだし、

一旦氷になることで、無条件の愛に気づくことができるのです

話をもとへ戻すと、
心と身体の境目は無く、
病気と健康の境目も無く、
幸不幸の境目も無く、
死と生の境も、
あの世とこの世の境も、、、
全部が境がない世界なのです

最初、氷の位置にいるときは、
全てをデジタル的に分割して概念で観ているわけです。

私、肉体、心、あなた、ねこ、犬、鳥、アリ、草、木、水、、
全て分かれて視えています。

でも、段々、水、お湯、の位置になってくると、
あなたもわたしも同じ人間であり、

人間も猫も犬も動物であり、
動物も草も木も生命であり、
全てはもともと存在としてあり、
その地点に於いてはみな同じなのです

本当は自分の内側は深く観ると、外側のことであり、裏は表であり、陰は陽であり、地獄は天国であり、、、

それはそれは、超アナログの世界、\(^o^)/、

人々は、毎瞬、毎瞬、ちょっとづつ病気になり、ちょっとづつ健康になり、ちょっとづつ真面目になったり、ちょっとづつ羽目を外したり、ちょっとづつ幸せに、ちょっとづつ不幸になり、氷になったり水になったり、、、、

その行ったり来たり。。ですよね~(^^)

現象である僕らは、すでに現象そのものであるがゆえに
それ自体でそもそもなんの意味もなく(ネガティブな意味ではなく)

でもでもでも、、、その現象(自分)を眺めて観ているのは、、
本当の静寂さ、至福さ、平和さ、、、言葉では捉えきれない、、

そこは、不生不滅、時間が無く、永遠で、無限で、、

瞑想も座禅もヨガも気功も、芸術も、、
この氷の自分に気づき、眺める静寂な空の世界への入り口なのかもしれません。。。

言葉の限界も合って、表現が辛いところですが、
じゃーそれはこれこれこういうこと?と思考でつっこみを入れずに、

感覚で受け取ってもらえたら嬉しいです\(^o^)/

まだ、水蒸気の世界にいるヒカりんも、段々と氷の世界を垣間見て、

やがて大人になり、完全な個人(氷)を体験して、愛に気づき

やがてまた水蒸気になって帰ってゆくのでしょう

これも、僕という氷の持つストーリーですけどね(^^♪・・

読んでいただきありがとうございます

写真&執筆 三宅信義


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