般若心経(+瞑想) 自由への道2

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瞑想中に般若心経を唱えてみた・・・

より良く般若心経の精髄が解ると思ったのだ。私は暗記しているので、

瞑想しながら出来るが、般若心経を読んでから瞑想しても良いだろう。

般若心経の眼目は何かと言うと、色即是空の言葉で表される。

あなたは空なる存在なのですよと・・・と言う事なのだ。

照見五蘊皆空の次に度一切苦厄と書かれている。

これは肉体を構成している五つの要素、(色、受、想、行、識)、

即ち(肉体、感覚器官、想念、行動、認識)の五つで構成されて

いる人間である“あなた”が空なる存在であると言うのである。

ここで空とはあらゆる物質的現象を生み出す母体である空間の事を

言うのである。万物を生み出す母体と言って良いだろう。

最近では科学においてもヒッグス粒子なるモノが、この宇宙空間を

充たしていると言うし、又、ダーク・マターやダーク・エネルギー等、

科学で観測出来ないモノが予想されている・・・

空とは限界や制限を持たず、不生不滅、不垢不浄、不増不減とも

言われ、相対界を超えた存在 なのである・・・

老子様は名付けられぬモノをタオと呼ばれ、お釈迦様は空と呼ばれたが、

これは宇宙意識、又、神と同一のモノを指していると言えるだろう。

イエス様の言われた天の王国も同じモノであろうか?

ここで人は普通であれば、この肉体の内側のみを自分と認識し、周囲の

人との利害に明け暮れ、エゴの作用である喜怒哀楽と愛と恐れに翻弄

され捉われていると言えるだろう。

それに対して般若心経の示す真理は人間は、その習い覚えた感じ方、

枠組みを超えて、人間以上の存在であり、しかも宇宙と等価の存在で

あ ると説いている。それを示しているのが色不異空なのである。

人間は空なる宇宙、又は神と異ならない、又、等しく尊い存在なので

ある・・・

又、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽とは迷いは無く、

迷いが尽きる事も無く、又、老いる事、死ぬ事も無く、老いや死が

尽きる事も無いと言う。これは二重否定なのであるが、善悪、良否、

美醜、老幼、生死等、その二元性を越える事を誘われている。

これは、想念の未生以前のプラスとマイナスに分かれる前のゼロ点を

指しているのだ。そこに虚空意識であり、神意識が在るのであり、

その事を悟りなさいとの促しであると思うのだ。

又、無智亦無得、以無所得故とは知る事も、得る事も無く、所有する

事も無いとあるが、その真意は、あなた自身が(あなたの根底に在る)、

その空そのものと一体なのであると言う意味なのであると思う。

亦、ここで一番大事な事は心無罜礙であろう。これは心に引っかかりが

無いと言う意味である。何の捉われや拘りの無い様を言われているのだ。

それは必然的に内なるパラミタ、真理層への扉を開き、悟り、又、覚醒

と呼ばれる体験へと至るのであろう・・・

最後の真言である言葉 、ガティー・ガティー、パーラ・ガティー、

パラサン・ガーティー、ボディー・スバッハーとは行こう、行こう、

彼の岸に行こうとの意味合いであるが是非善悪を超えて、その捉われ、

拘りを離れて、心無罜礙の言葉の通り、心に何の曇りも無く、全き純粋な

エネルギーに充ちた時に、この空間に元から在るニルヴァーナ、涅槃寂静

の境地に至ると書かれていると思う。又、この真言を唱えてみると解るが

上位チャクラに反響して、宇宙と繋がりハイアー・セルフとの一体化を促す

ものと言えるだろう。

(尚、般若心経の逐語訳に関しては、般若心経  宇宙意識への扉を参照

願いたい。)

執筆 川井俊夫


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