理不尽さについての一考察

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人生を長らく生きて来て、時に理不尽さを感じる時が有る・・・

何で!と思うような出来事が、今迄幾度か遭遇している・・・

ここで原因・結果の法則、又は作用・反作用の法則、さらに、

因縁果報(仏教用語で、原因に触れて結果を生み、その報いと

言う意味である)とか言われるが、私はビリヤードの原理と

読んでいる。キューによって与えられた力は球に当たり、何処へ

行くのか解らないのであろう。

丁度、穴であるポケットに落ちる事が理不尽さに遭遇する事に

相当するだろう。

信頼している人に裏切られたり・・・

相手の言動に悪意を見たり・・・

遠くはイジメられ体験も有った・・・

球がぶつかり合うような体験が、時折、人生に現れるのだろう。

さて、この問題を追及してみたい・・・

その前に、この理不尽さは個人レベルでも、集団レベルでも、

国家レベルでも起きている事なのだ。その最たるものが、かつて、

太平洋戦争に突き進む契機に成った、日本に要求された圧力である

ハル・ノートや石油の禁輸ではないだろうか?!

さて、個人レベルでの話に戻すが、そこにフラクタル(自己相似性)注1

の概念を持って、物事を見て欲しいのだ。

注1(入れ子型に成っているロシアのマトリョーシカ人形や、

レベルの違う出来事にも、その細部に同じ構造が現れる様を言う。)

個人レベル、集団レベル、国家レベルで起きる理不尽さの構造は

フラクタル関係にあると言えるだろう。

さて、理不尽さである・・・

これは社会関係を覆す行為である。

普通は人間関係の基本はGive & takeの関係で成り立っている・・・

そこに調和が現れる場合と不調和が現れる場合とが有る。

相手の言動の中に攻撃性が現れたり、又、一方的な被害感情を持たれる

場合も有るだろう。

これは、元々、エネルギーには、創造、維持、破壊の三要素が有り、

又、人はエゴ意識を持っているし、立場の違いにより、違う世界を

見ていると言えるのだ。

又、意識レベルの在り様は千差万別であるし、人を利用しようとする

人物や、人を騙して喜ぶ人も居る・・・

さて、理解と調和への意思は、より良き人間関係を生み出しうるだろう。

ここで波長の合う、合わないは重要な点である。

自らの望む心の世界を作る自由を人は元より与えられているのだ。

その自由の権能を使おうではないか・・・

執筆 川井俊夫


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