土に還ること

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すっかり、気付けば年末になっていて、

今年を振り返りつつ、暮らしている日々。

思えば、今年は、お別れが多かった。

そして、先日も、前夫との間に

飼っていた愛猫が、余命宣告を

受けたとの報らせ。

産まれたら、いつか死ぬ、誰にでも訪れる事、なのだが。。。

うちには、観察用に近い畑がある。

なぜ、観察用、かと言うと、

自然農のような事を少しだけやっているのだが、

元々、その土地で農業をやっていた人が、

科学的なものを使っていたので、

それが抜けるのに、三年は、

かかると言われている。

だから、その三年ぐらいの間は、

不作なのが当たり前だそう。

意外と忙しく、大して育ててもいないが、

無除草、無肥料で、どのような感じになるのか、

観察しているので、観察用のようなもの。

白菜を幾つか植えたとする。

同じような苗だったのに、

よく育つもの、大きくならないものが、

必ず出てくる。

そして、育たない弱いものは、

凄い勢いで虫が湧き、

いつの間にか、ほぼ無くなる。

大きく強いものは、やられない。

少し弱ると、自然は、アッサリと、

その命を奪って行く。

畑の隅に堆肥場があり、

生ゴミなどを埋めておくと、

暖かい時期だと、数日間で、

ミミズや微生物たちが分解して、

影も形も無くなり、

サラサラの土になっている。

昨年植えて、時期を終えた作物の

残骸を置いていた場所から、

翌年、勝手に生えて来たりする。

種が、こぼれ落ちていたのだろう。

こういう事を観てみて、

人間だけが、その枠組みから

外れているなんて事は無いわけで、

この循環の中での出来事の一つが、

死、なんだなと思い始めた。

私には、大好きな木があり、

それは倒木なんだけれども、

倒れて、暫くして、

その、お腹に当たる部分から、

沢山の芽を出した。

今は、グングン育って、倒木は、

お母さんのようだ。

命が終わっても、次の命を繋ぐ。

それは、目に見えるカタチでなくとも、

残された言葉だったり、

過ごした時、だったり。

先日、地球ハグ瞑想

というものに参加した。

うつ伏せで行う同時瞑想なのだが、

その時に、『暖かい死』という

メッセージを受け取った。

その、あたたかいは、暖かい食卓、

とかの、あたたかい、に当たる。

死に至るまでのストーリーとは、

全くかけ離れた、

純粋に、土に還ること、は、

とても穏やかで、暖かい事なんだよ、

と、教えてもらった気がした。

絵&執筆 島貫めぐみ


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