すべては愛でできている。その4

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​この世界は二極のものがセットで成り立っている。
陰と陽、光と影、善と悪、上と下、男と女、右と左、
高い低い、多い少ない、希望絶望、生きる死ぬ、、、、、、。

このことをストンと理解できた時から期待することをやめた。
期待しなければ失望はない。
憧れることもやめた。
自分の持っていない欲しいものを持っている
ひとに対しての羨望。
例えばわたしの場合は
素敵なだんなさまにかわいい子どもたち
お兄ちゃんや妹との絆はかたく
両親との距離感やコミュニケ―ションもいい感じにとれていて
家族と志事のバランスも絶妙で
キラキラと輝く女性に対してはかなうはずもなく。

誰かに憧れているのであれば
誰かをさげすんでいることになる。
いやいや自分は誰をも蔑みはしない。と思っていてもだ。
すべてはセットなのだから。
自分に持っていない欲しいものを持っているひとに憧れることは
自分が持っている大事ものを持っていないひとを無意識に
さげすんでいることになるのだ。

だからわたしはもう誰にも憧れない。
誰をもさげすみたくにないから絶対に。
*絶対という言葉はこの世界では通用しないことを知りつつ
あえて使わせていただく。

二極化が著しいと言われて久しいが
そのふたつは例えば一本の棒の両端に遠く離れているわけ
ではなく背中合わせでくっついている。
わたしたちの手が手のひらと手の甲があって
あたりまえにひとつの手であるように、背中合わせのそれらは
どちらの面もあってバランスを取っている。

どちらが正しいとか正しくないとか勝ったとか負けたとかいっても
いつでもひっくり返るし、片方を排除することは
絶対*に不可能なのだ。
自分がどちらかを選んだとしてももれなくもうひとつの側面も
付いてくる。切り離すことはできない。
そしてそのふたつと感じられているものは、背中合わせとはいっても
表とか裏とか境界線がはっきりしているわけではなく
曖昧に繋がっている。
そう始まりも終わりもない円のように。

それでもひとはそれらを選別し比較することで自分を?何かを?
満たそうとするからいつまでも永遠に(今という永遠に)
満たされることはない。
そもそも満たされていない何かを満たそうとしても
満たされていないと感じている自分が
満たされているものを見つけることはできない、、、、、。

ああ、そうか。満たされる。満たされない。も結局はセットなんだし。

こういうことをぐるぐると感じているともうわたしたちにできることって
何もないのだと思うわけです。完全にお手上げ。降参ですね。

この「わたしたちにできることは何もない。」と感じることで
また新しい何かがはじまっていくのだ。そしてまた繰り返し。

そんなこんなでわたしが唯一
なんの根拠も理由もなく確信していることは
すべては愛でできている。ということだけなのでした。

実際にそれだけ確信できていれば
大丈夫。すべてはうまくいっているのだと思うのです。

写真&執筆 村上志乃


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