人は内なるプログラムで生きているー新たな生き方へ

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ある時、今、ここにおいて私の状況、現実を俯瞰して見た
事が有る。遠くの空から私自身を見下ろしてみる・・・
自分のエゴ意識の思い込みを離れて、唯、あるがままを
見て感じ取る・・・

すると狭いコップの嵐の中で、ずいぶん心の重荷を積んで
来た事が解る。周りの状況、出来事、現実に、自らの心の
空間の汚れが影響を受けて来た。
その事実だった・・・

状況の紆余曲折に心内の浄化度が左右されるようでは
アセンションと言えない。さて、アセンションとは、次元上昇とか
と言われているが、又、五次元とか言われる事も有るが、
正直、良く解らないだろう。さて、定義付けるとしたら、
それは心のレベルが上がる事を意味しているだろう。
それは、ネガティブな感情にいたずらに支配されず、
ありのままの現実に平穏な気持ちが続いている心と
言えないだろうか?そして、フツフツと生きる幸せを感じて
いる事だろう。

人は長年生きている間に、日々生きる思考パターンや
思い方のクセを身に付ける。価値観や人生観、世界観、
善悪観等、それはモノの見方と反応する観念群と言って
良いだろう。

人との会話にしても、こちらの語りかけに対して、相手から
自動的に反応として言葉が出て来るのだ。それは内なる
プログラムの働きと言えるだろう。ところで、人は自由意思を
持つ存在である。素粒子の世界でも不確定原理は有るのだから、
人の想念にも幅が有るはずである。
単なる内なるプログラムの自動反応では自由が無い事に成る・・・

いかに両親から、又、社会から、又、集団から、外から
やって来た情報、刷り込みから自由に成って心の王国、
自由意思を守るかは自己責任なのである・・・外から来る
広い意味の洗脳やマインド・コントロール、これらの存在に
気付き、外して行く事。そして、真に自らの望む世界を、
自ら自身の内より創造して行く事ではないだろうか?!

お釈迦様の説かれた、自らを拠り所とし、法を拠り所と
しなさいとは、その事を説かれたと思うのだ。
ここで、法とは、仏典の知識の事では無く、自らの内に
見出せる法則、真理、真実を言う。それは、言葉として
認識されているとは限らない。又、何処かの宗教団体に
所属する事では無いのだ・・・

ところで、社会一般はGive & takeの契約関係が成り立っている。
それ故に買い物が成立している。又、人間関係も無意識に
Give & takeの係わり方ではないだろうか?!
しかし、イエス様やお釈迦様は、この人間観を超えた所を
説かれたと思うのだ。それは、Give & giveの世界であると思う。
太陽が光熱を与えるばかりのように・・・
それは真実の愛の光が魂の内より湧現する道と言える。

さて、状況に左右されない意識、それは相対の世界を
超えた領域に、心内に聖なる領域、光の神殿を建てる
べきなのだ・・・
それは見出されるのを待っているのかも知れない。
それは、どんなモノだろうか?!

それは真実の愛を心の中に確立する事だろう。
それは見返りを求める領域からは生まれない・・・
損得さえも超えた領域であろう・・・
心内に神が顕われるとは、内なる太陽の如き意識が
顕われる事だろう。

自らの人生の主宰者であるとの意識、そして、自らの
時空の創造者であるとの意識、そして、瞳孔を通して
見ているモノは・・・

I am that I am.の真我意識である。

それはタオであり、神であり、虚空、もしくは宇宙そのもの
であると知り、自覚する事だろう。
I am that I am.とは=真我意識と訳される。
ここで、最初のIはあなた自身の意識である。
そして、後のIは人の心の中での名前も無い認識者、
観察者、虚空意識と言って良いだろう。
その真我意識があなた自身の心のフィルターを通して、
世界を見ているのである。

それは心奥において、我は神なりの意識であり、誰も又、
神であり、万物が神であると知る事だろうと思うのだ。
そのような意識で生きて行きたいと思う。
それは、誰に対しても生命への尊厳の眼差しが開けて
いると思うのだ。

執筆 川井俊夫


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