植物たちとともに目指すは美しく完璧な愛に満ちる平和な世界。

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花と植物たちとともに目指すは世界平和。
世界中のすべてのひとが
自分を含め存在するすべては例外なく、存在するだけで
美しく完璧なのだということをココロから理解すること、
魂や細胞までもがそれを思い出すこと、が
世界が平和になる大切な第一歩だと思っている。
存在するだけで美しく完璧だ。と誰もが感じやすい花を通して
ひとりでも多くのひとにその大切な第一歩を踏み出す
きっかけになればいいなあ
と活動しているひとつがmoonStruck花遊びだ。

花遊びは私たちが花と遊ぶのではなく
花にとことん遊ばれるのだ。
経験や概念、思考やセンス、、、自分の中での限りあるものは
すべて手放し花にとことん遊ばれ委ねることで
自分がつくった自分の枠を飛び越え新しい世界へと誘われていく。

それには花の前に純粋で(まっさらな状態)あることが必要。
そうでないと花の声が聞こえにくく自分でなんとかしようとするから
途方に暮れやすい。
途方に暮れていることにも気付かずにそのまま半ば強引に進めていくと
結果もやっとした仕上がりになる。
もやっとしているのは気持ちのこと。花はそれでも美しい。
実際、花はいつだって美しいのだから。
美しいのだけれど気持ちがもやっとしているからその美しさに
気づきにくいのだ。

花におまかせして遊んでもらって花の声を聞いて
感謝の気持ちでいけさせていただく。とてもシンプルなこと。
そうするといつのまにか気持ちはすーうっと浄化され
花もより気持ちよさそう。

いけた花はそのひとのおもいをそのまま写し出すといわれている。
それは花の美しさが増したり損なわれたりするのではない。
(本当にしつこいけれど)花はいつだって美しいのだから。
いける側のココロの在り方に大きく左右して
損なわれたと感じたりするだけだ。

花をいけることは信じること。
花はいつだって美しい。
存在そのものが美しい。と信じていけるだけ。
花を美しい。と信じる自分を信じていけるだけ。
信じる先には自分も存在そのものが美しく完璧なのだ。と
もはや信じるとか、信じないとかを超えた感覚を
知ることになるだろう。
そしてさらにはそれらをまるっと全部ぜーんぶ
愛することを可能とする。

途方に暮れる自分も
信じきれない自分も
愛することがわからない自分も
どんな自分も愛するのだ。
自分を愛せない自分も。

美しさや完璧だということには何の条件も必要ない。
比較もジャッジも差別も蔑みも憧れもリスペクトさえも要らない。
だって、誰もがそれぞれに完璧なのだから。
世界中のひとびとがそれに気づきさえすれば
美しく完璧な愛に満ちる平和な世界になる!

今日も花遊びを楽しむ美しい秋の夕暮れ時。

写真&絵 村上志乃


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