花はセンスでいけるのではない。

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時時これはインスピレーションなのか直観なのか
わからなくなることがあって。
でもどちらでも同じなのではないかとか思ったりして。

インスピレーションと直感の違いを調べてみました。

「直感はインスピレーションに近いもの、
似ているものとつい考えてしまいますが、
実は、情報(過去の記憶)の再生からきているものなので、
インスピレーションとは対極のものなのです。」
「豊かに成功するホ・オポノポノ」P62より抜粋

過去の記憶は何でできているかというと
他者や外の出来事との関わりから。
それではいつまでたっても真の自分には近づいていけないし
自分を超えていくことなんて到底できないのだと思う。
過去の延長線上を生きることになるからだ。

インスピレーションは神(宇宙、サムシング・ラブ、、、、)からの情報を
テレパシーで受けるということ。
それでも。インスピレーションももともとは自分の中にある情報の
抽象化ですものねえ、、、、すべては自分のなかにある。
けれどもその自分を超えていく。むむむむ、、、、。

色色と感じすぎて頭がグルグルになった時
花がいつも導いてくれるのです。

「センスがないから花は無理ー。」
「センスが悪いから花をうまくいけられない。」
という声をよく聞きます。

そんな時はいつも 「花はセンスでいけるのではないから大丈夫ですよー」
と話しています。
えー??と思われる方がたくさんいらっしゃるでしょうか、、、、、。

よく使われているセンスがいい、悪い。
とは(実際には、いい、悪い、はないのですが)
たくさんの情報(経験や知識など)を持っていてそれらを効率的に瞬時に解析し
今必要な情報を選び取る能力があるかどうかなのではと
わたしは感じています。
ともすると、それは、直観力のことではないのかしら??

25年花をいけ続け感じているのは
花をいけているのは自分ではないということ。
自分でいけようとしていればきっとこれほど長くは続けられなかっただろうなあ。
自分のいける花には限界があるから。
花はその限界を悠々と超えている。
自分の思うとおりにしようとすれば、花はすぐさまそっぽを向いてしまう。
無理にこちらを向かせようとわたしは思わない。
だから。
わたしにできることいえば花を前に純粋であり愛に満ちることだけだ。
15年近く続けている花遊びのなかで、今まででいちばん早くいけ終わり
いけた自分の花に対しジャッジも比較もなく、満足感以外の思いを
微塵にも感じられなかったのは7.8歳くらいの子どもたちだった。
子どもたちはいつも純粋であり愛に満ちているからだろう。

純粋で愛満ちるところに神からのインスピレーションを受け
その向き合うものと調和、融合することで
自分を超えた新しい世界へと導かれていくのではないか。

花をいけることは
信じること。愛すること。生きること。

花はセンスでいけるのではない。それは人生も同じだと思っている。

写真&執筆 村上志乃


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