知恵の言葉 バイロン・ケイティさんの言葉より

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自分の考えを信じる時、現実(リアリティ)を対立するものに
分けてしまいます。特定のものだけが美しいと考えてしまうのです。
けれども、クリアな意識(マインド)にとっては、世界のあらゆるもの
が独自の美しさをもっています。

私はどんなものも、雑音(ノイズ)として聞くことはありません。
私には、車の盗難防止警報器であっても、鳥のさえずりと同じくらい
美しく聞こえるのです。すべては神の音。まさにその本質により、
思考(マインド)は無限なのです。思考(マインド)がそのビリーフ
を探求したなら、あらゆるものに美しさを見出します。それほど
オープンで自由なのです。これは哲学ではありません。実際の世界は
そうなっているのです。

よいもの、悪いもの、よい人、悪い人、こうした対立概念は、比較に
よってのみ、有効です。あなたにとって悪いと思えるものが何であれ、
まだ十分わかっていないものがあるだけということはないでしょうか?
現実においてはーその本質においてーあらゆるもの、あらゆる人が、
あなたの価値判断をはるかに超えるところにいるのです。

師は、自分がもっていると信じているものだけをもっています。ですから、
師は何ももたず何も必要としません。師は行動し、あるがままの現実という
奇跡を待ちます。意外性を台無しにするようなことは何も期待しません。
師の仕事が終われば、そのことについては忘れてしまいます。なぜなら、
覚えておくべきものは何もないからです。済んだのです。終わったのです。

出典 タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉 7、8ページ

このバイロン・ケイティさんの言葉は驚くべき言葉です・・・
様々な先入観や固定観念からも自由を得た人の語り得る言葉だからです。
二元性、二極性の断定や決め付けで切り取られた狭い世界の住人では
無く、その一なる世界のあるがままの美しさが、そのまま見える人
なのでしょう。老子の言葉を知識として知っている人の言葉では
ありません・・・ 文字通り、バイロン・ケイティさんの内なるタオが自在に
語っていると言えるでしょう・・・

単なる知識の集積やコレクションと化した記憶層の遠く及ばない世界が
果てしなく広がっているのです・・・

タオは老子において表現された名付けられないモノのエネルギー、生きて
活動している生命力の別名を指しており、空とか神、宇宙意識とか、
サムシング・グレートとか同じモノでしょう。

又、師について語られている所は、人の内なるタオの働き、又、生命力の
発動を言われていると思います。エゴの関与を超えた作用、働きの事と
思われます。今の瞬間に生き、発動し続ける生命力の動きそのものを
言われているのでしょう。

タオを生きている時、世界を分離、分断された個々、別々のバラバラな
世界の寄せ集めとして見える見方では無く、世界を一なる世界として
見える世界観を得ていると言えないでしょうか。全て生命は宇宙樹の
生命の一葉であり、其々に個性を持った生命や人間達が一つの生命力
(タオ)を得て、生き、活動し、呼吸し、語り合い、時には争いながらも、
壮大な宇宙の生命の一端を担っているのです・・・

ちなみに宇宙樹の生命とは、私のオリジナルですが、後で、宇宙樹という
言葉が元々有る事を知りました。北欧神話に出て来るようです。

私は一つながりの超生命体を眼に見えない樹木として、人間一人一人、
又、あらゆる生命体を、その葉の一枚として捉えています。
つまり、一つのつながった生命なのです。共に同じ時空を創造しつつ、
生き、出会う存在と言えるでしょう。
執筆 川井俊夫


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