真実の道程について(八正道において)

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人は生きる道において、様々な出来事に遭遇します。

そして、その中で、ある人々は病み、
又、心身共にダメージを受ける事も有ります。

けれども、その中で、何かしらの学び、
気付きを経て立ち直り、復活する人も出て来るのです。

これは、どうしてでしょうか?!
何故でしょうか?!

ここに分岐点が有るのです。

理不尽に見える出来事に遭遇する中で、
人々は多く、外側のせいにする傾向が有ります。

そして、又、その出来事を引き寄せた因を自らの内に
見出しづらいと言う事なのです。

それ故に、お釈迦様は悟られた時に、
自らの心を本来の姿に正す為に八正道を説かれた訳なんです。

*「八正道とはお釈迦様がお悟りに成られた時に、
最初に気付かれたものとされており、
それは、正見、正思、正語、正業、正命、正進、
正念、正定の八つの徳目の事です。」

物事の道理を見究め、
その中から誤りを見出し修正して行くプログラム、体系なのです。

けれども、始めの正見自体、
その意味を把握するのが中々難しいのです。

多くは我見に偏りがちだからです。

客観的に第三者の立場で見ると言いましょうか、
俯瞰して見ると言いましょうか、
自らのエゴを超えて見る事が正見なのです。

そして、その正しさとは、自他を裁く為のものではありません。
自他を生かす正しさなのです。
そして、その正しさには愛が含まれているのです。

愛の眼差しで、遠くから慈しむような思いを保ちつつ、
その出来事を自他の両者を見る事が出来る時、
怒り、責め、恨み等のネガティブな思いは消えて行くのです。
それでこそ、本来の正見が為されるのです。

次に正思ですけれども、
正思とは文字通りに言うならば、
愛の裏付けの有る、
又、含まれている思いを持ってと言う事なのです。

そして、正語とは、
正見と正思が出来ているならば、自ずから出て来る言葉なのです。

その言葉には、人を蔑む思いは含まれず、
又、トゲの有る思いも含まれず、
又、人を責める思いも、うそ偽りも含まれないのです。

そうは言っても、人間とは理不尽な事が起これば、
それに反応した言葉が出て来るのは自然な道理なのです。

と言って、それを正当化するのでは無く、
改善への道すがら、道標としての正語なのです。

さて、正業ですが、人間は社会生活を営む生命体です。
それ故に、衣食住が充たされる必要が有りますし、
その社会とは分業によって、成り立ち、
大人は、その糧を得る為に仕事をすると言う
習い、決まり事、社会のルールが有るのです。

そして、様々な仕事が有りますが、
この社会が互いに共存、共栄出来るように
支えあっているのです。

それ故に、正業とは、
盗んではならないと言うテーマが有りますけれども、
社会に害悪を与えず、
良き事の為に仕事をすると言うのが正業なのです。

さて、正命ですが、
これは正しく生命を使うと言う事であり、
それは、放逸や自堕落な生活をせず、
戒めると言う事なのです。

人生の時をムダに生きてしまうと、
後々、後悔する事に成りかねません。
それ故に、自らが、価値有る、
又、喜びの有る生活、生き方が望ましい事なのです。

正進とは、正しく道に精進すると言う事であり、
何事も中途半端な気持ちでは、
物事を達成する事は出来ません。

それ故に、物事を為すに当たって、
道を究めて行く、集中して事を為して行くと
言う意味合いなのです。

次に、正念ですが、
これは正しく念じると言う事であり、

その反対は邪念と成ります。
これは、人の不幸を望むような念の事です。

対して、正念とは、人々の幸せを願う、
念じると言うような意味と成ります。

邪念の多い社会では、
そもそも不和、争いの多い社会と成ってしまうのです。
そう成らないように気を付けたいものです。

さて、正定ですが、
これは、正しく定に入ると言う事です。

定とは禅定の事ですが、
これは、もちろん、自らを見つめ、
心を正しくする為のものです。

又、瞑想において、
真実の自己を発見すると言う意味合いも含まれています。

そして、この正定とは始めの正見へと連なり、
これは円環を形成しているのです。

これは、心、魂において、
その心、魂の働き方から、その心の曇りを除き、
浄化する為に必要な、
又、必須でもある元々、天、宇宙より与えられている仕組みであり、
システムなのです。

それが元々、本然のモノとして与えられていたからこそ、
お釈迦様はお悟りに成られた時に、
そのシステムを発見されたと言う訳なのです。

もちろん、この仕組み、システムを言葉として知らなくても、
心の清い美しい心の持ち主の方々は、
例え、言葉として八正道を知らずとも、
自然と実践されている訳なのです。

この天与の仕組み、システムを気付かれたなら、
自らに適用されて、その本来の心の姿を実現される事が、
その人生の道程を光輝く道として歩む縁と成るかと思います。

お読みいただき有難うございます。

執筆 川井俊夫


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