内省と反省が交錯する夏。

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今年も夏が終わる。
ここ数年、特にそうしようと決めているわけではないのだけれど
結果深く内省することになる夏。理由はわからない。
ただ、ずーっと昔から特に夏の夜に何かしら言いようのない
切なさというかさみしさを感じていたなあ。
夏は楽しい。日が長い分時間が長く感じる。解放的になる。
だけど楽しみきれないうちに大抵の夏は
あっ。と言う間に過ぎていってしまう。
まだまだやりたいことがあったのに、、、。そうか、
選択肢がたくさんあるからこそ、やれないこともたくさんあるんだ。
そこらへんのジレンマが切なさを感じさせるのだろうか。

夏の花は、うつろいが早い。
特に切り花となると繊細な花たちはすぐにうつろいはじめる。
根っこのある花でも一日花といわれる花がこの季節には多い。
いちにちばなとはたった一日を咲き通せない花を意味する語。
アサガオやハイビスカス、フヨウ、野菜の花など。
わたしのすきな深い紫色の花を次次と咲かせるノボタンもそうだ。

作家である高橋治氏の言葉に、
「暑熱(しょねつ)に耐えて咲く花は、春や秋の花たちから見ると、
遥かに色濃く、しかも原色に近いものが多い。
その色が人間を妙に内省的にする。
恐らく、それが、夏なのだろう。」というのがある。

たった1日でも、誰に見せるでもなく、咲く時に咲く
花の姿にひとは自分を省みざるをえないのだろうか。
花には花を咲かせる以外の選択肢はない。

内省とは、わたしなりの解釈では、自分自身を見つめ
どうありたいのか。を問いかけること。
辞書で調べると「反省」とまっさきに出てくるが
なんとなく反省とは違うなあと感じる。

わたしは反省ずき。反省するものに進歩ありと聞いてからは特に
反省の毎日。反省することで自分を励まし奮い立たせてきた。
反省は過去を振り返り、今後を改善しようとする作業。
後悔とは違う。
その過程の心中はとても複雑だけれど、結果
すべては自分に何かしらの問題があるのだと思う。
きっとその方がある意味楽なのだと思う。
自分次第でどうにでもなるということだから。
反省することで、負の感情を無意識のうちに
抑えてきたのかもしれないなあとも感じる。

反省と違い内省はいまをひたすら見つめる作業だ。

色色調べて見つけた久保英治さんの言葉がとてもわかりやすい。
『反省は内省ではない』

「内省とは自己を非難することなく、判断することなく、
良くしようとすることでもなく、ただただ自分の奥に内在している
魂の「愛情溢れる目」でもって、
ただただ自己を暖かく見つめることである」

いいなあ。自分を暖かく見つめたい。 見つめよう。

内省の英訳のひとつにsoul-searchingというのがあった。
これは魂を探す、ということではなく
内省することで魂の声を知るということ
なのだと感じた。

この夏は徹底的にアトリエの掃除をしながら英語の勉強をする!
はずでした。
が、どちらも!!思うようにはいかず、、、。
たくさんたくさん反省しました。
英語塾に入ってこの4ヶ月間わたしのやれる限りの
努力はしたのです、、、。でも
本当に本気でやったのか?と問いかけます。
今まで一度も本気出したことがないのでは?とさえ思います。
第一、本気ってなんだろう??
しばらくぼう然と過ごしました。
どれだけ反省してもグルグルしているだけなので
内省に切り替えます。

どうしてそんなに英語を話したいのか?の根本を見つめ直します。

掃除ができてないのは単なるさぼり、、、と
完全に言い訳ですが英語ができなかったことが、、、、。
意志が弱いなーーーーー、、、。 これは反省?内省?

花はいつだって美しい。
例えたった1日だけ咲くとしても何の迷いもためらいもない。
何も足さない、何も引かない、そのままで美しい。
花たちは反省も内省もしないのだろう。
いまここにしか生きていないのだから。

写真&執筆 村上志乃


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