愛する、愛されるということ

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皆さまこんにちは。
暑さも大分凌ぎやすくなりました。
とはいえ、子供の頃は、この位の気温が高い方でしたから
慣れとは恐ろしいものですね。

愛・・・。
すべての始まりであり、すべての源。
日本語の母音の始まりは 『あ』『い』から始まると気づいた時、
深淵な計らいを感じ、何と素敵な言葉なのかしらと改めて思いました。

少し前に、心から湧き上がるようなメッセージを頂きました。
愛を実感し、伝えることが私の役割だと。

実際、真に愛する・愛されることが全ての原動力になっています。
息子のアトピーも、愛すればこそ乗り越えられた高いハードルでしたし、
仕事が楽しいながらハードでも、励まし合い、愛し、愛される人がいるから頑張れる。

思えば私は沢山の愛に恵まれて来たと感じます。
絶対的な安心感のもと、様々な経験をし、失敗をしても温かく、優しく、
時に厳しく受け止めてくれた両親。
同じ思いや悩みを共有したり、成長していく上で関わった大切な友人たち。
女性として、人間として自分を磨く力をくれた恋人やパートナー。

その思いに触れたり、思い出すと、それはもう泣きたくなるくらい。

私は、この愛を注いでくれた人達に、どれだけ愛を注ぐことが出来ていたのか。
息子が小さかった頃、ある時、こう言われました。

「ママが僕を思っている以上に僕はママを思っていると思うよ。」

私は、息子に精一杯沢山の愛を注いでいるつもりだったのに、
嬉しい反面、とても申し訳無い気持ちになりました。

先に沢山の愛を頂いてきたから、与えているつもりではあるけれど、
もっともっと沢山の愛を沢山の方にお返ししたいと思うのです。

愛は、湧き続ける泉のように枯れることなく
むしろ与えれば与えるほど戻ってくるものなのだと実感しています。

こんなにも愛されているのに、なおかつ愛されることの幸せ。

だからこそ多くの人に、愛がもたらす安堵感 幸福感 充足感を感じて欲しい。
余計なお世話を焼きたくなってしまう私なのです。

甘やかさないのも愛。
差し伸べたくなる手をじっとこらえて ただ、微笑んで見守るのも愛。
さじ加減が難しいと感じる時は、心の中で自問し、流れに委ね、
本当に必要な時に、手を差し伸べることが出来たらと思います。

そして、何より忘れてはいけないのが、私達は神様から愛されているということ。
かつて苦しかった時、私は神様にお願いすることを知りませんでした。
だからお願いもせずに
『何故こんな目に遭うのだろう、いくら自分で選択した課題だとしても。』
そう思っていました。
お願いすれば手を差し伸べてくれるけれども、本人が望んでいないのに
手を差し伸べられることはなさらないのだと知りました。

『求めよ、さらば与えられん』(マタイ書7章)

そして私も、同じDNAの1つや2つや3つ位、
持っているであろう全ての人(つまり家族ですもの)に
沢山の愛を送り続けたいと思います。

今日も穏やかなお気持ちで過ごせますように。

写真&絵&執筆 Nicho


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