神様について考えてみました

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神様について?そんな事解かるの?

と自問自答しています。

神様と言うと、人格が在るように思ってしまうかも知れません。

それは、本来、名付けられないモノであり、サムシング・グレートとか、

タオとか空と呼ばれて来ました。

何故なら、言葉による先入観や、限定で、閉じ込められ、

定義される存在では無いと思います。

一つ浮んでいる事は、母親の胎内に居た時の事を書こうと思った事です。

母親の胎内は、安全な所で、羊水に守られていて、温かく、

母親の鼓動も聴こえているでしょう。そして、無意識にも、

母親と胎内の自分とは、言葉以前の会話をしているのでしょう。

丁度、その世界が神様の世界のようだと思ったのです。

同じ構図が一人の人間と宇宙との関係に成りますが。

そして、赤児として生まれたら、普通の場合では、母親は、

赤児に愛情を注いで、育ててくれます。

母性愛は、神の愛を感じるアーキタイプと成るのではないでしょうか?

どこかで、神様を思い浮かべる時に、母親のような存在を、又、

育ててくれた父親のような存在をアーキタイプとして、

神様の存在を感じるのではないでしょうか?

アーキタイプとは、ユングの言葉で、

心の中に元々在る元型と言われています。

神様と言えば、母親的な、又は父親的な存在と感じられる事です。

そのような存在を元型と呼びます。

そして、生まれてくる前の天界とは、調和された楽しい光の世界

なのでしょう。天界とは、生まれて来る前に、魂、霊が

待機していた場所なのでしょう。

そして、この世界に生まれて来て、色々な出来事が有ります。

それは、良い悪い、善と悪と言う風に、二元性の世界です。

二元性とは、良い悪い等、白か黒かと両極で成り立っている世界です。

父と母、陰と陽もそうです。

それ故に神様はそもそも在るんだろうか?と不明に成って

しまうんだと思います。

神様は隠れていると思います。

あるいは、眼に見えるモノ、見えないモノ全てが

神と言えるのでしょう。

あなたが生きて、存在している。

この地球に生まれて来たと言う事。

これ自体が神様の愛の一つの現れなのでしょう。

神様の愛とは、気が付く類のように感じています。

自由意志が与えられている事。

そして、今、生きている環境が与えられている事。

呼吸をして、心臓の鼓動を打っている事。

住む所と、食べるモノが有る事。

人によって、暮らし向きは違いますが、仕事をしたり、

日々暮らしながら楽しみが有る事。

友人、知人、家族が居る事。

様々な喜怒哀楽を感じ取れる事は、幸いな事でしょう。

辛さや苦しささえも、経験する事に意味が有るこの世界

なのでしょうか?

それは、共感力を生む事に成るのでしょう。

私の今の理解では、この世界、地球、あらゆる人々、

生きている全ての生命、空間は神の愛の顕われでしょう。

そして、神様は、何処に住んでいるかと言えば、

愛の思いの中に隠れているのでしょう。

神様が解かりづらいのは、この世界が二元性に囲まれている

からだと思います。

この二元性の中で、人生で遭遇する様々な出来事で人は

心を歪めます。そして、潜在意識の中にネガティブな

トラウマやコンプレックスを溜め込んで行く人も居ます。

トラウマやコンプレックスとは、人の潜在意識の中で、

影響を及ぼすエネルギーです。

そして、エゴの牙城が強固に成った人は、人の迷惑を

顧みなく成ったりもします。ですから、神様に近付くとは、

心の浄化が欠かせないものと成ります。

それを成し遂げつつ、生きる事で、周囲に穏やかさや喜びを

伝えて行く人に成れるでしょう。

そう成りたいものですネ。

神様とは、ありとあらゆる存在とも言えると思います。

この自然、空の雲の流れ、花や樹木の姿、子供達の笑顔に、

犬や猫、この地球が、太陽が、そして、星々が,大宇宙が

神様の姿と言えるでしょう。

そして、人の心の中に生まれる真心は神様

の顕われと言えるでしょう。

読んでいただき有難うございます。

執筆 川井俊夫


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