フリーハンドな自由な感性で(心の風景2)

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小学生の頃を思い出してみました。

そこに、自然でごく普通に生きていた私が居ました。

後に悩み多い季節が続き、

長じては様々な本の遍歴へと連なりました。

さて数十年を生きて尚、

本棚にはその足跡が残っています。

あたかも心の糧的な、もしくは頭の食べ物のように、

でも途中迄で積読の形で、

本棚に収まっている本達が有ります。

今は、目の前に見える位置から、

窓際の方に移動したのですが・・・

もっと、片付けたい気持ちにも成ります。

何か興味を引く本が有ると、つい買ってしまいたく成る私が居ます。

小学生の頃はもちろんそんな事には興味も無く、

ごく当たり前に日々を暮らしていました。

その素の自分に戻って生きたら、

どんな感じがするのだろうと思うのです。

立松さんも要らない知識はゴミと一緒ですとも、

そう言われていました・・・

さて日々の生き方は

日々の習慣として潜在意識に刻まれています。

そして生き方自体もパターン化していると言えそうです。

さて、素の自分に戻れたらと考えていますが、簡単であるとは思っていません。

様々な観念の堆積の上に、今の意識、感じ方が有ると言えそうです。

ですから、様々な観念の堆積物を浄化しつつ、

その奥に在ると言われる光輝くモノ、それを魂と呼ぶのでしょう。

それは、誰もの心の奥に在る本来、本然の心と言えるのでしょう。

それが、顕われる時、心は光を放つのではないでしょうか。

それは、外なるものばかりを追う生活では見出せないのだと思います。

心の姿を見ようとする事は欠かせないと思います。

ですから、素の自分に立ち戻る事は重要な事と思われます。

さて、国会では、例の法案の採決に反対するパフォーマンス、

そして、衆院での法案通過と続きました・・・

あまりにも、重要な国の方針の変更故に、

こんなんで良いのだろうかと言う疑問が拭えません。

政党の縛りで、自分の本心を表わせない与野党議員なんだろうなと推察します。

脳がコンピューターだとすると、不要な役に立たない知識や、

又、人から言われた不快な言葉や体験、又、トラウマや自分でする人への批判話等、

それらは、バグとして脳にとって負担に成るだけです。

さて、浄化するとは心もですが、

脳内の不要なバグをリセットして、

抵抗無くスムーズに脳も活性化する事ではないかと思うのです。

そして、習慣的な観念、思考、行動のいたずらな繰り返しでも無く

フリーハンドな自由な感性、そして思考、行動へと

内心の自由へと回帰出来たら良いなあと思います。

その中で、より肉体細胞の働きや、

DNAの働きもより本来の姿に成るように思われます。

それは、より悩みや葛藤を手放す事にも通じる事ではないかと思っております。

執筆 川井俊夫


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