永続する富②

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+

さて、先週に引き続き、ロスチャイルド家の歩みを追いながら
永続する富の秘訣を見ていきたいと思います。
近代まで、ロスチャイルド家は次のような家訓を守ってきました

1.女性には家業を継がせない

2.結婚は一族の中で行う

3.一族以外の者をロスチャイルドの
事業に加えない。

ロスチャイルド家の女性達はこの家訓を守り、
生きがいを求め、男達が19世紀の混乱の中で
富を構築していくのをよそに女性としてその力を
発揮していました。
稼業を継ぐ事ができない反面
その当時における最高の教育を受けていた
彼女達は慈善事業にその力を注いでいました。
彼女達がまず始めたのは児童養護
施設の運営でした。資金はもちろん
ロスチャイルド家からの寄付で賄われていました。
その後、ロシアやボーランドから
迫害を逃れて来た同族のユダヤ人の住居
職業斡旋なども行う様になっていきました。
第二次世界大戦後にやっと先進国で
行われる様になる福祉事業を
既に19世紀に始めていたのです。
高等な教育を受けたロスチャイルド家の
女性達が能力を発揮する場を求めて
行き着いた所がそこであったのです。

その後、ロスチャイルド家では2代目
3代目になってくると家訓を破り本業から
離れていく者が出てきました。
科学、美術、政治のあらゆる分野に
ロスチャイルドの名が出てくるのです
ユダヤ人の宿願であるエルサレムへの
帰還についてもロスチャイルド家は迫害から
逃れて来た人達のためにエルサレムに土地を
購入し、移民のためにボルドーワインの経験で
培った技術を持ち込み、ぶどう作りに多額の資金を
投入するも失敗する事もありました。

その他、美術品蒐集家としても多くの美術品を
ロスチャイルドは手に入れています。
そこにはロスチャイルドらしく、一般の
オークションでは無く、多くの遺産を受け継ぎ
多額の相続税の支払いに困る未亡人などから
手に入れることが多かったのです。
ロスチャイルド家にしてもこのようにして
手に入れた物も当主が亡くなれば多額の相続税の
対象となり富の継承の足枷となっていくものです。
しかし、多くの富豪が遺産相続で衰退して行く中
後に述べるようなロスチャイルドらしい対処をして
生き延びていくのです。

第一次世界大戦を機にヨーロッパの王政が次々と
倒れてゆき、ロスチャイルド家が権力者の傍で
富を拡張できたのはこの時まででした。
20世紀になるとロスチャイルド家にとって
苦難の時が訪れます。
それはまず、ヒトラー政権樹立とともに始まりました。
フランクフルトのロスチャイルド家はその危機にアメリカへ
移住することを決断します。
フランクフルトに住むユダヤ人の生存率が10人に1人で
あったことから見るとこの選択が正しかったこと証明しています。
ロスチャイルドが残した豪華な邸宅はナチス高官の住まいとなり
高価な美術品は全て持ち出されてしまいました。
オーストリアロスチャイルドにおいてはヨーロッパ最大の
製鉄所を持っており、オーストリア併合とともにナチスが
乗り込んでこれを没収にかかってきました。
しかし、オーストリアロスチャイルドはナチスの思惑を
読んで既にイギリス人へ所有権を移しており、ナチスに
一泡かかせる一面も見せていました。
しかし、今度はそのお返しとばかりにロスチャイルド家の
当主を拘束し、出国と引き換えに法外な身代金を要求して
これをのませる反撃をうけるのです。
最後にフランスのロスチャイルドの話でに移ります。
フランスがナチスに占領されるとフランスロスチャイルド家の
男達はレジスタンスに加わり、戦後に大統領となるドゴールと
共に戦っていました。

やがて戦争が終わり、復興が始まるとヨーロッパ各国は
ロスチャイルドの富に多くの期待を寄せました。
まずオーストリアにおいてはロスチャイルド一族の
帰国を熱望しました。しかし、結局この地に
ロスチャイルドが帰ってくることはありませんでした。
戦中、国家はもとより国の誰一人としてロスチャイルドに
救いの手を差し伸べる事がなかったのです。それよりも
命からがら出国する彼らをあざ笑う始末でした。
誇り高きロスチャイルド家の人々はこのことを
忘れなかったのです。
そして、ここでオーストリア・ロスチャイルド家の
歴史は終わりを告げます。
次にですが、ドイツやフランスにおいてナチスに
強奪された美術品の多くが戻ることはありませんでした。
ロスチャイルド家には美術品の目録が保存されており
自らの所有権が明らかであってもあえてこれを
争うことをしませんでした。
また、豪華な城や別荘は保有するだけで多額の費用を
必要とし相続すると莫大な相続税が負担となっていました。
ロスチャイルドは、この住むに不便な城や豪邸を財団に
寄贈し、修復の費用も自ら負担していきました。
当時、復興と共に余暇の場所を求めていた人達にとって
これは格好の場所となりました。
この行動はヨーロッパの人々のロスチャイルド家への
尊敬を集め、その後の事業発展に大きく寄与する事になるのです。
このようにロスチャイルドは遺産を手放すことで
ロスチャイルド家の富の継続を図ったのです。
しかし、数百年続いたオーストリアとドイツの二つの
ロスチャイルド家はこの世界大戦によって終わりを
告げます。

執筆 小川俊次


Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする