ライフ・ゲーム機と二元鏡

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人生をTVゲームに例えてみると

そのゲーム機の中で主人公とされるのは

あなた自身である

そして 普通はその主人公は

肉体の内側だけが自分自身と思っているのだ

そしてゲーム機の中で他の人達と

自分を変えたり相手を変えようと試みたりする

そこは二元対立の世界と成る

一方 ゲームの中の主人公と他の人達

又 背景まで含めて

全て一つのゲームであり その入れ物である

ゲーム機を見付けるならば

そこに操作するボタンを見付けるだ ろう

そして 主人公と周りの人達や背景まで

一体の世界であると理解する

そこで各キャラクターは決まっているし

相手を変える事でも無いと知る

この世界観の違いが解かるだろうか?!

そして このゲームの行く末には

色々な可能性が孕まれている

出来る事は唯一つ

自らに注力して自立の道を確保する事だ

何かへの依存や執着では無く

唯 ひたすらに自立しつつ内面を見る眼

心眼を得る事である

ここで二元鏡が出てくるのだ

眼に見える物質界と

眼に見えない鏡の向こうの

過去 現在 未来の蓄えられた情報空間である

リアルな世界を変える為には

その内面のイメージ空間を変える必要が有るのだ

ヴァジム・ゼランドさんはバリアントの空間と言われた

そして自らの内面を整え調和を図り

余計な心の荷物を降ろしつつ

波動を高め高貴な波動をもたらすのだ

それにつれてゲームの中の世界は

パラレル・ワールドのシフト・チェンジが起きているだろう

そこにこそ自分を変える事が

世界を変える事に通じているだろう

いたずらに外側を変えようとする事では無いのだ

まずはライフ・ゲーム機を手中にし

その操作ボタンを動かしうるのは

自分自身であると自覚する事だろう

それがバシャールの言っている

パラレル・ワールドへの

チェンジ・シフトではないだろうか!

お釈迦様も言われた・・・

自らを拠り所とし法を拠り所とせよと

この法とは自らの内面より湧き出でる

真智の泉の事であろう

又 こうも言われた

サイの角 の如く 唯一人歩めよと

これは内面に注力せよと言う事ではないだろうか!

依存では無く自立の道を説かれたのだ・・・

やがて いつしか内なる宝蔵の倉は開かれ

内なる虚空と繋がりて

真智の泉にも到達しパラミタが開かれる

これはイエス様の言われた

生命の水に導いてくださるとは

天界におけるキリスト意識が

ハートにまで降臨し

自らの牧者 導き手と成る事であり

同じ事を言われているのだ

そして 創造の意識に目覚め

自らが人生の 創造者である事を知るだろう

そして この肉体がよすがであり

本来 神殿であったのだと気付くのだろう

執筆 川井俊夫


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