耳に残る言葉

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私は、芸術に目覚めて、絵を描き始めた頃、毎日何かをスケッチブックに残そうとしていました。

最初は、頭で考えてから紙に向かっていました。
色んな角度から日常を眺めたり、考察したり、残像を追って、
光の下で、一生懸命、その曖昧な影をなぞってみたりしていました。
でも、いつしか、手に任せるようになりました。
ここで描いている挿絵みたいなものは、ある程度テーマに沿わせたりしているので、
頭も使いますが、イメージしたら、やはり手が勝手に描くのです。
手放した時から、流れに従うだけになるのです。
生き方もそうです。
いつもは出来ていませんが、100%自分の思うままにできた日は、探している答えや、
警告が、日常にあるので、それに従っているだけで良いのです。

ある日の事。
数日前から、何となく、部屋の中の空気が悪いけれども、何が原因なのか分からないのです。
普段はしない高い所も掃除したりしたのに、何だかスッキリしないのです。
そのまま1日をスタートさせて、
何気ない、ご近所さんとの会話の中で。最近、宗教の勧誘に家に来る人達がいて、
その話になった時、
『私は言ってやったの、そんな事しなくても、自分の処で、(お墓や仏壇の事だと思う。)
毎日、手を合わせなさい。』って。という言葉が、やたらに耳に残ったのです。
そして、ピーンと来ました。
何だかスッキリしない原因は、
家の神棚と荒神の事だなと。
というのは、私達が住む古民家には、神棚と荒神があるのですが、
元々、私達には、そういうものに手を合わせる習慣もなく、
ザッと掃除しただけで、ほとんど放置していたのです。
何か、あそこにあるなと思い、神棚の社のようなモノを降ろし、
雑巾で拭きながら、その精緻な作り物についている扉を何となくて開けると、
何と、中から、ギッシリ、色んな神社のお札やお守りの束!! これだったのか!
それと、荒神には、白い紙が貼ってあり、何なのか分からないけれど剥がすべきだと思い、
調べると、お葬式の時に白い紙で、神様を隠すというのが分かり…つまり、
この家に、元々住んでいた、お婆さんのお葬式の時のままだったのです。
引っ越してきた頃から、つい最近まで、トラブル続きで、
気持ちのゆとりがなかったのですが、ようやく落ち着き出し、
神様から、そろそろ掃除くらいしてくれ、とのメッセージだったのかな?と思っています。
余談ですが、このキッカケをくれた御近所さんは、
かなりの確率で、警告や答えをくれる、私の導き手です。
そういう人が何故か必ずいるものです。

意外と、人との会話の中や、ふと聞こえたテレビやラジオの音の中に、
耳に残るフレーズがあれば、それは、何か、メッセージである事が多いものです。
耳は、優秀で、ちゃんと聞いて残してくれますが、
自分が自分に心を閉ざしている時は、聞こえないものです。
いつでも、心の声に従って生きられたら良いですよね。

絵&執筆 島貫めぐみ


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