おもうのはいつもと同じひとつだけ。

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ありがたいことに
わたしには忌憚のない手厳しい意見と整然とした率直な
アドバイスをしてくれる友人がいる。
その友人は毎週金曜日更新のこの記事を
楽しみに読んでくれているひとりだ。
友人の言葉たちはとてもありがたく参考になると同時に
ココロからの信頼と敬意がわたしのなかに積み重なっていく。
時にはあたかも喧嘩したかのように、不穏な空気に包まれることもあるが
本音で向き合っているからこそ。理想的な友人関係。

その友人が、「毎回同じようなことを書いているね。」と言ってきた。
正に!そうなんだよなーと思った。
結局、わたしが書きたいことはひとつだけなのだ。
それは新月の日にお願いすることでもある。いつもと同じひとつだけ。

15年近く続けている花遊びでもそうだ。それは自分で気づいた。
いつも同じことばっかり言ってるなぁわたしは、と。
そこで生徒さんに聞いてみた。
「いつも同じことを言ってますが、、、、?」
飽きませんか、ね、、、?のようなニュアンスを含めつつ。
生徒さんの答えは
「いつも同じことを言っているから安心です。」
それを聞いて同じことを言い続けててもいいんだ!と
わたしも安心。

「アミ小さな宇宙人」の中でも
「人間の最も基本的なもの、つまり愛の必要性は何度繰り返しても
いくら言っても言い過ぎるということはない。
人間や社会や世界にとって、もっとも基本的で必要なものが
愛であるということ。
これはいくら言い続けても充分ということはないんだよ。」
という一説がある。

とはいえ、聞き手、読み手が飽きないように話の切り口や言い回し
例え話などを違えながら伝えたい事を展開していく努力は
惜しまないようにしなければ。

花をいけることも同じで
存在するだけで美しい花は例え誰がいけても
どういけたとしても美しいのだから(花の声を聞くこと、
花との「間」を感じること、、、、
など欠かせない要素はありますけれど)
完成形というものは、ひとつもない。また逆にそれは、
星の数ほどたくさんある。ということにもなる。
その中でも
1輪の花の長さがたった5ミリ短くても長くても
角度や向きがほんのちょっと違っても
全体の印象ががらりと変わり、まるで違う仕上がりになるのだ。
いけるひとが違えば同じ花を同じようにいけても
全然違くなるのは当たり前だけれど、同じひとが明日また
いければちがう花になる。

花は美しい。という
真理はひとつでも表現の仕方に限りはないのだ。

これからも、「いつもと同じひとつだけ」伝えたいこと、
実現していくこと、を
その時その時の言葉で、思いで、表現していこう。と
友人のひと言で確信したのでした。
いつもありがとうございます。
おかげさまです。

そういえば。
「おもうのはいつもと同じひとつだけ。」
というフレーズ
ずいぶんと前に友人がすきだと言ってたのを今思い出した。
すきに理由は要らないけれど
どうしてすきなのか聞いてみようかな。
きっとまた何かのヒントになるに違いない。

写真&執筆 村上志乃


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