すべては愛でできている。その2

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わたしが3歳の頃、我が家にキューピーちゃんがやってきた。
19歳。顔がまんまるの、そうまるでキューピーちゃんのような女の人。
高校卒業後、親元を離れ就職。父と同じ職場だった。
キューピーちゃんとは、その職場での愛称。
母親の絶対的な愛を渇望していただろうわたしはキューピーちゃんと
すぐに仲よしになった。
はじめはキューピーちゃんと呼んでいたらしいけれど
いつの間にか自然とママと呼ぶようになったのだと思う。
今日からわたしがママよ。といった
よくある?宣言は特になかったはずだ。母の性格上。
(この時からわたしの母はキューピーちゃんだけとなった。)
それと、きっと大人の事情?ではじめは曖昧な感じだったに違いない、、、
わたしが大人になってから
「しーちゃんがかわいくてかわいくてもう離れられなかった。」
と母は話している。とはいえ、母は父がダイスキなのだ。
50年近く連れ添っている今でもそれは変わらない。

小学校に上がるまで、今でははるかに信じがたいけれど
かなり病弱な子どもだった。
母の背中におんぶされ夜中に何度となく救急病院に。
その頃は、携帯電話はまだなかったし(黒電話の時代です)
タクシーに乗ることもあまりなかった、、、、
タクシーは経済的な理由だったかもしれないけれど。
今でもタクシーにはできるだけ乗らないようにしているのは
この頃の記憶による影響かもしれない。

まだ19歳の母はきっと必死だったはずだ。
昼間はパート、終わるとすぐにわたしを保育園に迎えに来てくれた。
ほとんど走るように。
それでもいつも一番最後のお迎え。
お家に帰って夜ごはんと保育園のお弁当をつくる。
父はほとんど家にいなかった。
同居の祖母は「孫の面倒を見るためにいるわけじゃない」と
家事にも参加せず、、、、、
母の料理ははじめこそあまりおいしいものではなく
保育園のお弁当に太いにんじんのバター炒めが入っていて
おいしくなくて残したのを覚えている。
危なくにんじんが嫌いになるところだった。

わたしの病弱な体質を改善しようと母は頑張って料理を覚え
いつしか母の手料理が世界で一番おいしいと感じるようになった。

こんなエピソードがある。
母は月に1度だけの贅沢にわたしを連れレストランでの外食を楽しんだ。
母は普段食べれないステーキや、それなりに豪華なものを頼むのに
わたしはいつもざる蕎麦を頼む。
なんだか人目も悪いし、わたしが遠慮しているのかと思い
「しーちゃんのすきな食べたいものなんでも頼んでいいんだよ!」
と言った。わたしの答えは
「ざる蕎麦はお家で食べれないから!他のごはんは
カレーもハンバーグも、オムレツも、スパゲッティも
ママがつくる方がおいしいもの。」
それからというもの、ますます母は料理の腕に磨きをかけた。

今でも、母の手料理が世界で一番おいしい。

そしてわたしは料理するのがとてもとてもすきだ。
母に育てられ本当によかったなあと思うことのひとつ。

執筆 村上志乃


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