すべては愛でできている。

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金曜日の記事を担当している
村上志乃です。
3月からは担当である金曜日以外に
プライベートのこと中心で不定期に
記事を投稿していきます。

1964年9月1日
3,500グラムほどの大きな女の子として
この世に生を授かりました。
生まれも育ちも仙台市です。
3歳以下の記憶はほとんどなく過ごしてきました。
記憶がほとんどないというのは、きっと意識的に消しているのだなと今は感じています。
ですから、これはもはや想像なのかも知れませんが
小さい頃の私は子どもがよくあるように、泣いておねだりをしたり、
だだをこねたりと言うことが全くない子どもでした。

それは生きていくための自分なりの表現だったのではないかと。
親戚のおばちゃんたちも口を揃えて
「しーちゃんは本当に手のかからない子どもだった」
と懐かしそうに話してくれています。

わたしが2歳の時、母が、父とわたしを置いて家を出て行きました。
その母のことは50歳の今まで自分からは誰に聞くことなく、
自分の中での母の記憶も全くなく、写真も1枚もなく、
一度も会うこともありませんでした。
だからでしょうか、母に対しては何の感情もなく、
あるのは「2歳のかわいい盛りの娘をどうして連れていかなかったのか?」
ということただひとつだけを思っていました。
結局はそのひとつの思いが、成長するとともに大きくて硬いしこりのようなものになり
私の人生の価値観や指針を創り出していきました。

絶対的な愛情に守られ育まれるはずの幼少期に
母に見放された(あえて見放された、と表現します)わたしは
早くも諸行無常を体感、会得したのだと感じます。

幼少期、ぎゅーっと誰かに抱きしめられた記憶がありません。
父と一緒の写真には、かなり緊張していて肩が上がっている小さなわたしが写っています。
26歳の父は、幼い娘を可愛がる術を全く知らなかったようでした。
父が働いている間、面倒を見てくれた親戚のおばちゃんたちも、
手がかからない子どもだった分きっと
必要以上の興味や愛情を注ぐ機会はなかっただろうと想像します。

今となっては、母のことをひとりの人間として愛おしいと感じています。
できることなら会いたいなあと。
異父兄弟がいるとも聞いています。
わたしと似ているのでしょうか。
わたしはきっと母ととてもよく似ている、と根拠もなく確信しているのです。

今のわたしが存在しているのは母の存在があったから。
今のわたしが愛と感謝に満ちているのは母のおもいがあったから。

すべては愛だなあ、と感じます。
これはどこからやってくるおもいなのでしょう。
わたしのなかから生まれ出ずるおもい?
ただただありがたいです。

お母さん
わたしはあなたを確かに愛しています。
例え記憶にないとしても
いつもあなたを感じ、生きています。

ありがとうございます。

執筆 村上志乃


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