飴もムチも関係なく

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誰しも、褒められるのは、

嬉しい事です。

誰しも、叱られるのは、

嫌な事です。

でも、褒められるから、やる、

或いは、叱られるから止める、

という事を繰り返すと、

誰かの意図した生き方になります。

一番に絡んでくるのは、

親の意図、親の価値観です。

大人になった皆さん、

誰に褒められなくとも、

やりたい事を続ける強さを、

あなたは持っていますか?

自分が子育てしていて思うのは、

子供は基本、

やりたい事をやるのです。

例えば、
「家の中で水遊びをしたい」

当然NGなんですが、

こういう無茶でも、

やりたい事なので、

子供はやります。。

大人は叱るでしょうし、

その中で子供は、

折り合いをつけていく、

という事を学ぶでしょう。

親にとってはたまらない、

子供達が、

無茶苦茶をやる日々は、

成長の上では、

とてつもなく重要です。

この中で、

褒められた=ゴーサイン

叱られた=ジ・エンドのサイン

みたいに、
単純に刷り込まれてしまうと、

周りの顔色だけ伺って、

やるかやらないかを

判断するような人になります。

褒められた→何を褒められたのだろうか?

叱られた→何がダメだったのだろうか?

この様に、考える余地が、

子供の頃から必要です。

それが出来る距離感や、

時間の余裕が与えられないと、

自分の氣持ちを大切にせずに、

取り敢えず穏便に

済ませる人になるでしょう。

その結果、自分の知らない所で

不満を貯め続けて、

どこかで不調を来すのです。

子供の頃に、強制的に

飴と鞭のサインで

動かされてしまった皆さん。

大人になりました。

もう、自由なんです、

自分で判断して良いのですよ。

どんな大人になりたいですか?

全て自分で決めて良いのですよ。

誰かを陥れたり、

暴力で、傷付けたり、というのは

論外ですけれども。

誰も褒めてくれなくても、

続けても良いんじゃないですか。

誰かに叱られても、

間違っていないと感じたのなら、

止めなくても

良いんじゃないですか。

怖くなったら、

立ち止まっても

良いんじゃないですか。

感じたり、考えたり、

そうこうする、その過程が、

案外楽しいじゃないですか。

誰かに評価されるのは、

とても嬉しい事ですが、

自分にとっての満足を

求めて行動して行く事が、

幸せに繋がるのではないですか。

誰よりも、

自分が自分を、

認め続けてあげることが、

いつでも最高のご褒美です。

今日も、自分という乗り物を、

最高に、

ご機嫌に動かせますように。

執筆 島貫めぐみ


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