優秀さという危うさ

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今と昔で優秀と呼ばれる人を比べたとき
どんな違いがあるだろう。
戦前の日本を見てみると当時優秀な逸材は
幼年兵学校などをへて陸大を卒業していった。
そして、その中でも参謀本部といわれる
場所に集まる人々は日本有数のエリートと
呼ばれ、自他ともに認める存在であった。

次に現代を見てみてみると、日本で
優秀と呼ばれるのはどんな人だろうか。
有名私立校をへて東大を優秀な成績で
卒業し霞ヶ関へ上級公務員として
集まっている人達だろうと思う。
また、戦前と戦後、そのエリートと
呼ばれる人々はどう変わっただろうか?
戦前の陸軍のエリート達は今の自衛隊
とは異なりとてつもない権力を要していた。
外交交渉の方針にも口出し、
国境の変更、すなわち他国への攻撃さえも
おのれの裁量で決定していた。
しかし当時は、軍隊が行動を起こすには
天皇の裁可を得ずには一兵たりとも
動かす事は許されなかった。
それにもかかわらず、当時のこのような人達は
エリートである我ら以外にだれがこの国を
動かすことができようか、という自信に
満ちあふれていた。
そして一度は、この国を存亡の危機に
追いやった。
さて、現代を見るとどうだろうか。
政治の方向性は国民が選んだ政治家が
決定してはいるが、その基本的な
政策の内容を提案するのは官僚である。
全てを霞ヶ関の官僚のせいにするのは
あまりにも酷なことではるが
戦前の陸軍のエリート達と同様にこの国
の現状を見るに余りにも似た印象を受ける。

優秀=学歴ということも否定はしない。
しかし、今も昔もそれは一つの要素であり
全てではない。
それを活かすための条件が必要なの
だと私は思う。
その条件とはまさに経験だと考える。
ありきたりと思われるだろうが
歴史が物語るように、この戦前のエリート
と呼ばれる人達は、現場第一線での経験も
浅く、海外での経験も無しに
机上の空論のみで結論を導きだし
過ちを犯してきた。

しかしどうだろう、
ソフトバンクグループの孫正義
Facebookのマークザッカーバーグ
など年齢、学歴に関係なく
世界中に巨万の富と組織を
作り出している人がいる。

これからは今までの優秀という枠に
とらわれず自ら自分の才能を活かす世界に
飛び込み、その才能と勘を経験という砥石で
磨き上げることが必要なのだろう。

そして、そのような人財こそが国の命運を
左右するばで活躍して欲しいものだ。

執筆 小川俊次


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